今津景 《Memories of the Land/Body》部分 2020年 タグチアートコレクション蔵 photo: 木奥惠三 courtesy of The Artist and ANOMALY

インドネシア・バンドンを拠点とするアーティスト・今津 景(いまづ・けい)の初の大規模個展が開催されている。2017年にアーティスト・イン・レジデンスで初めてインドネシアを訪れた今津は、パートナーであるアーティストのバグース・パンデガと出会い、2018年には生活と制作の拠点をバンドンに移した。翌年には息子を出産し、現在も同地に広々とした住居とスタジオを構える。新天地での劇的な環境の変化によって得た経験と思考が、今津の創作に計り知れない影響をもたらしたことを本展は如実に語っていた。

第1の展示室には、今津がレジデンス・プログラムで最初にインドネシアを訪れたとき、バンドン郊外のゴア・ジパン(旧日本軍の要塞洞窟)で目にした過酷な掘削労働の痕跡に強く刺激を受けて制作したシリーズがある。絵画に描かれた筋骨隆々の体型は、教科書で見覚えのあるジャワ原人(ピテカントロプス)のものだ。

今津景 《Anda Disini (You are here)》 2024年 作家蔵 courtesy of The Artist and ROH

今津 自分たちが受けてきた歴史教育は敗戦国としての被害者目線のもので、侵略という加害の歴史を教えられなかったことを知りました。インドネシアで発掘された人類の祖先である絶滅したジャワ原人は洞窟を棲家にしていたといわれます。硬い岩を砕くための道具の刃を胸に当てるポーズに、抵抗や決起の姿勢を重ねています

「今津景 タナ・アイル」展示風景 撮影:木奥恵三

一方同じ部屋に、マラリアの特効薬・キニーネの歴史をめぐる作品シリーズが展示されている。媒介である蚊を意のままに操るともいわれる強かなマラリア原虫がヒトの血管の中で増殖し感染する経路を、人体の器官や化学実験を連想させる不気味な装置で可視化し、その恐怖をフィジカルに共有するインスタレーションは強烈だ。

今津 バンドンは世界一のキニーネの生産地で、オランダ領時代に建設されたキニーネ工場は戦時中に日本軍に接収されて大きな利益を生み出し、戦後はインドネシアの国営製薬会社になりました。南方では生死を分ける必需品であるキニーネの産業では、人間の生命線とビジネスは背中合わせに存在します。現在は女性の子宮を縮小させるなどの副作用も問題になっています。

「今津景 タナ・アイル」展示風景 撮影:木奥恵三

「今津景 タナ・アイル」展示風景 撮影:木奥恵三

本展ではこうして今津がバンドンに拠点を移してから入念なリサーチで得た知見を存分に開示するいくつもの作品を展開している。

第4の展示室では、バンドンの泥火山に沈んだ村とそれによって環境汚染の被害を受けたエビの養殖産業をめぐるリサーチプロジェクトを発表。本作では、バンドゥン工科大学を修了したアーティストでもあるパートナーと協働している。都市開発の工程で起きたというあまりに不用意(ドジ)な事故により、多くの住民が家を失い生業に困難をこうむった問題の深刻さが伝わると同時に、どこか牧歌的でポジティブな印象も受ける。この地域に暮らすリアルな当事者でもある彼女たちが養殖業者の親子にインタビューする動画は、グローバル時代にも根強く存在するエコ意識の格差と、風土に根ざす(と思われる)野放図な逞しさに軽いカルチャーショックを受けた。

今津景 《When Facing the Mud(Response of Shrimp Farmers in Sidoarjo)》 2022年 個人蔵 courtesy of The Artist and ROH

本展最大の展示室では、インドネシア・セラム島に伝わる神話「ハイヌウェレ」と今津のバンドンでの出産経験をめぐる作品群が、重層的に織り上げられた叙事詩のように展開する。
それはココナッツの実から生まれ、その排泄物が金銀や陶磁器などの財宝に変わるという不思議な力を持つ女性ハイヌウェレの伝説だ。島の人々は産み落とされる財宝を大喜びで受け取ったが、しだいにその力を畏れ疎ましく思うようになり、ハイヌウェレを殺して土に埋めた。やがて彼女の切断された身体を埋めた土から多種多様な根茎類が生え、豊穣をもたらしたという。
展示室の入り口には2つのゲートが建てられている。村人たちがハイヌウェレを殺めたことに怒った母神サテネは、土中より掘り返されたハイヌウェレの亡き骸の両手を広げ、そのゲートをくぐるよう命じた。殺人に加担した者はゲートを通るときにその手で叩かれ、動物や精霊に姿を変えられてしまったという。

「今津景 タナ・アイル」展示風景 撮影:木奥恵三

今津景 《Hainuwele》 2023年 トゥムルン美術館(インドネシア)蔵 courtesy of The Artist and ROH

今津 この作品群はちょうど妊娠していた時期に制作しました。インドネシアには出産後にプラセンタ(胎盤)を土に埋める風習があって、私も自分の胎盤を庭に埋めたことで、インドネシアの一部になったかもしれないと安心感を感じたんです。でもやはり私は外国人であることには変わりなく、インドネシアと日本の歴史など、さまざまなことがいまでも意識を駆け巡っています。その後、胎盤を埋めたところからはヒトデカズラという大きく成長する植物が生えてきました

インドネシアは何千もの火山島から成り立ち、異なる言語を話す数百もの民族から構成されているという。言語、文化、宗教、そして容貌もまったく違う人々がひしめき合う、まさに人種的・文化的多様性に満ちた国だ。見通しのよい展示空間には、ハイヌウェレ神話と今津自身の体験をもとにした大小の絵画や立体作品が、ちょうど海洋に浮かぶ島々のように、複雑な関係性を結びながら配置されている。

「今津景 タナ・アイル」展示風景 撮影:木奥恵三

第二の「故郷」(タナ・アイル=土と水)となった土地での結婚、出産という経験を通して、「マレビトのもたらすもの」について今津が深めてきた考察が、いまも変容し活発に息づいていることが、幾重ものレイヤーを持つ絵画空間を通して身体感覚に入ってきた。さらに観るものに自らの「生きる拠点」を再考するきっかけをも与えてくれる。それはインドネシアにまつわる歴史や神話、現代の環境や都市の問題、植物や動物たちの膨大なイメージや情報が、そこで生きていく覚悟を決めた彼女の身体を通過することで独特のダイナミズムを生み出しているからだ。

「ここでまだまだ作りたいものがあります」と今津はいう。圧倒的なイメージの力で私たちを彼の地へと運ぶ大河のような展覧会である。

「今津景 タナ・アイル」展示風景 撮影:木奥恵三

今津景 タナ・アイル

会期|2025年1月11日(土) – 3月23日(日)
会場|東京オペラシティ アートギャラリー[ギャラリー1, 2]
開館時間|11:00 – 19:00[入場は閉館の30分前まで]
休館日|月曜日[祝休日の場合は翌火曜日]、2/9(日)
お問い合わせ|050-5541-8600[ハローダイヤル]

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