美術史の豊かな知識を土台にして、当代一の画力を武器にどこにもない絵を生み出す。そんな人気画家、山口晃ガハクは夫婦揃って食いしん坊。日常で、旅で、制作中の日々で、散歩の途中で何を食べてるの? ガハクが日常を描くコミックエッセイ『すゞしろ日記』に「カミさん」として登場するガハク妻による食事帖。 「今年も昆布巻きがうまく出来た・・・」「うん、おいしいね」

 

絵/山口晃

今年も無事、山口ヒゲ画伯こと夫(以下ガハク)とふたりしてお正月の食卓を囲んだ。高確率で晴天となる関東の和やかな元旦、前夜の年越しイベント(年が明けたら家にて一応乾杯し軽く飲むのが恒例)の影響で遅い起床ながらも、明るい日差しをあびて身も心も清々しい。

例年ばたばたと大掃除と並行しながら、間に合うのか不安になり半泣き状態でおせちを作る大晦日。
年に一度のことですっかり勝手を忘れてしまい、毎度何からどう段取りしたらよいものかあたふたして、やたら気ばかり焦る。
今回は前倒しで30日からぼつぼつ始めただけで格段に楽だった。忙しさが1日に集中してしまう元凶は、より新鮮な方がいいだろうと鶏肉を31日に買っていたことにあったのだと今さら分かった。
鶏肉がないと「いりどり」とお雑煮の汁が作れない。これまでは、いりどり用に里芋だのレンコンだの、大量の根菜類の皮むきをひたすらこなしながら、「ああもう年越しそばをゆでないと」とわたしが慌てる一方、ガハクはガハクでお風呂掃除に没頭し、隅々まできれいにしようと延々と格闘している(一年分のカビ汚れはなかなか落ちない・・・)といった具合であったが、2日に分けておせちの準備ができると何かと余裕を持って掃除にも調理にも対応できた。
時間内にこなす項目は一緒であるのに、なぜだろうか。

・・・と騒ぐ割には、それほどしっかりおせちやお正月用の料理を作っている訳ではない。
いりどり、昆布巻き、数の子、なます、お雑煮・・・それくらいだ。
その年の気分によって百合根やクワイを添えてみたり、他に黒豆など出来合いのものを加え、年末に百貨店に行く機会があれば地下の食品売り場にて日本料理店のお正月用惣菜を買ったりで、それらしく取りまとめる。
あとはガハクの実家からの通例で刺身類を用意する。(わたしの実家ではお正月に刺身は組み込まれていなかった)
今でこそすっかり定番になった状況だが、最初にこのおせち準備のことをガハクから聞いた時には耳を疑ったものだった。

かれこれもう20年ほど前、一緒になって初めてお正月を迎えるにあたり、互いの実家にも顔を出さねばだが、元旦はゆっくり家で過ごそうということになった。
どちらかというとクリスマスのことで頭がいっぱいだったわたしに、ガハクが少し浮き浮きした調子で言ってきた。
「おせちは何を作ろうか」
おせちを作る、とな? ガハクの言わんとしている意味が察知され、わたしの背後が真っ暗になりザーッとどしゃぶりの雨が降ってくる。
以前にも書いた通り、わたしは実家暮らしだったため家事の経験があまりなく、料理も不得手であった。そこへいきなり「おせちを作る」とはハードルが高すぎでもう棒高跳びだ。
おせちなら実家に行った時に食べればいいではないか。うちではお雑煮があればそれでよいのでは、くらいに考えていた。
「作るって、何を?」

そもそもおせち料理がそんなに思い浮かばない。そういえば、おせち作り、母を全然手伝わなかった。紅白のかまぼこを切ったり、田作りを炒るとか、お重に煮物を詰めるとか・・・せいぜいその程度であった。また、わたしの実家でのおせち料理の存在は、お正月だから必要という形式的なもので、家ではそれほど人気はなかった。
しかしガハクの口ぶりだと、真摯に取り組むべきお正月の最重要事項のようだ。(ちなみにガハクは初詣には全く興味がなかったりする)
ガハクが品目を挙げてくる。
「いりどり、昆布巻き、数の子、田作り、八つ頭、きんぴら、栗きんとん、黒豆、なます・・・あたりかな。まぁ、全部は無理だけど。きんとんとか甘い系はたくさん食べるものでもないし、ふたりだと特にいらないかな」
無理だよ、と心の中で叫びながら、聞きなれない単語があったのでたずねてみる。
「いりどり・・・って何?」
「いりどり、知らない? 『炒り鶏』って書くのだと思う。筑前煮みたいなものだよ」
筑前煮ってどういうものだったっけ。小学校の給食の献立で見た気がする。さらに説明を聞いていくと、要するに煮物と考えればよいようだった。
「おばあちゃんがね、いりどりが上手に出来た年があって、それをとても喜んできれいに仕上がったってお正月中ずっと言ってたことがあった」
そんな思い出話までだされると、わざわざ「いりどり」と呼ぶからには何か特別難しい料理のように感じられた。(実際見た目をきれいに仕上げるには丁寧さが必要で、スピード勝負をしているわたしは成功したことがない)
そしてガハクが希望を述べてきた。
「いりどりと、昆布巻きは外せないかな」
ハァ?? 昆布巻きを、作る?
黒豆煮が難しいという知識はあったので、それが候補から外れたのにはほっとしたが、昆布巻きを作るという発想自体に驚いた。形状からしてずいぶん手の込んだ料理であり、自分で作れるなんてわたしには想像ができなかった。
「昆布巻きなんて、家で作れるの? 難しくない?」
「簡単だよ。昆布でニシンを巻いてかんぴょうで縛って煮るだけだから」
「ニシン? 鮭じゃないんだ」
「鮭もあるよね。でもやっぱりニシンでしょう」
実家では棒状で切り分けるタイプの出来合いの昆布巻きを買っていて、わたしの記憶では人工的に甘辛く濃く味付けされた昆布に生臭い鮭が巻かれている代物・・・という印象しかなく、三が日の間に一度口に入れるか入れないか、かなり興味の度合いの低い一品だったし、ニシンは当時のわたしには馴染みのない魚であった。
「それ、おいしいの? ・・・実は昆布巻き、好きじゃないんだよね。甘辛くて」
「何言ってんの。おいしいに決まってるでしょう。分かってないな。昆布にニシンにかんぴょう、って全部おいしいものばかりじゃない。うまみ成分そのものみたいな昆布がニシンを包んで、出汁の効いた煮汁がニシンとかんぴょうに染みてさ、もう酒の肴に最高なのよ」
ガハクの熱のこもった語りに押されたことと、「酒の肴」という言葉にひかれて、昆布巻きを作ることに同意した。ガハクは作り方も分かっているようで、わたしが全部やらねばならないわけでもないし、まあいいか、と思った。

いざ作る段階になり、買い物係になったわたしが、ガハクから材料として「ミガキニシン」を確保せよとのお達しを受け、またまた「?」となった。
ミガキニシン、とは? 磨きニシンという文字が頭に浮かび、魚の皮がぴかぴかしているということだろうか、もしくは鰹節のように表面がつるつるしているのか、などと考える。

「何それ」
「だからミガキニシンだって。ニシンを乾燥させてあるの。スーパーの魚売り場に行けばあるから」
何のことやらさっぱり分からず、釈然としないままスーパーマーケットの鮮魚コーナーに行ってみると・・・あった。これがそうか。今まで見たこともなかった。日本画で使用する棒状の三千本膠の親分のような形状の、干からびてカチカチになった魚が数本白い発泡トレイに載ってパックされており、「身欠きニシン」と記載されていた。
え、そうなんだ。漢字でこう書くのだとは思いもよらず、また驚く。
その頃はまだ近所でも普通に売っていたミガキニシンも、数年が過ぎるといつの間にか年末時期になっても見かけなくなり、御徒町の鮮魚専門店まで行って買い求めるようになった。そこでは箱入りで売っているため量が多く、その半分くらいで充分なのに10本くらいぎしっと詰まっている。日持ちするとはいえ、全てを消費するのは憂鬱でもあった。残りは後日煮て、ニシンそばなどに利用することになるのだが、匂いが強いのでしっかり密封しておかないと冷蔵庫の中がニシン臭くなってしまうし、何より下ごしらえが面倒で、お正月という特別な時ならともかく、もう一度繰り返すのは気重だった。

買ってきたミガキニシンの扱いに関し、ガハクから指示が出される。
「じゃあ次はミガキニシンを戻して。米の研ぎ汁につけておくと柔らかくなるから」
干されたニシンは固く、ともすれば凶器にもなりそうなくらいだ。
お米を研いで汁を準備し、深さと長さのある皿を用意して、こぼさないように浸けてラップをして冷蔵庫に入れる。魚の身からギトギトと油が浮いてきて、その水を処分するのも器を洗うのも一仕事である。
戻したニシンはさほど柔らかくならず骨などが結構固いままで、頑丈な包丁を選んで身に突き立て、手元が滑らないように気をつけつつ体重をかけながらバリッ、ガリッと切っていく。
そんな一連の作業は懐かしいというより、もうやりたくないこととして思い出される。というのも3〜4年前に決定的な出来事があったのだ。身欠きニシンには「ソフト」バージョンが存在していたのだ。
コロナのことがあって近くでしか買い物をしなくなった時期、ミガキニシンを求めて普段利用していなかった魚屋さんに行ってみたが見当たらなかった。ニシンがなくては大事な昆布巻きが作れない、お正月が迎えられない! もう他にあてもなく、すがる思いで「ミガキニシンはありませんか?」と尋ねてみる。「少々お待ちください」と返答のあった後、店員間でとボソボソと「あったっけ?」などと確認しあっていて不安が募る。やはりミガキニシンはもはやマイナーな品になってしまったのだな、と諦めかけたところ、向かいの倉庫から木の箱を手にした店員さんがやってきた。よかった、あったのだ。
わたしの方はやっと入手できるという感激でいっぱいで、その平たく小さな木箱が燦然と輝いて見えるほどであったが、忙しい年の瀬、店員さんは「何枚入り用ですか」とただ淡々と聞いてきた。箱ごと買わなくていいのはうれしいポイントだったが、出された木箱をのぞいてみると知っているミガキニシンとは全く形状の違う、3枚下ろし状の切り身が並んでいる。「これを使って同じように昆布巻きができるのかな。でもミガキニシンと言って出てきたからこれでも大丈夫かも。他を探す時間もないしこれを買うしかない」などと3秒くらいの間そんなことを頭の中で考えてから4枚買った。(これは多すぎ、2〜3枚でよかった)
それがソフトタイプのミガキニシンであった。生乾きで半干しの状態で、いちいち米の研ぎ汁を用意して戻したりする必要はなく、そのまますぐに簡単にカットすることができた。こんな便利な品、いつからあったのだろう。全然知らなかった。もっと早く出会いたかった。

昆布もかんぴょうも戻し、材料が揃っていよいよ昆布を巻いてゆく。わが家の昆布巻きは長さ6〜9センチほど、一口では無理で二口で食べるくらいのサイズだ。
細長く切り分けたベタつくニシンを、戻してぬめりが出てそれなりに扱いづらくなった昆布で巻き、ほどけないようにかんぴょうでぎゅっと縛って留める。
例年これを20〜30個作り、三が日の間、朝晩に日本酒をやりながら1〜3本つまむのだが、この数を準備するのは確かに手間だ。
けれども器用なガハクにとっては大仕事でもないし、わたしも手作業は嫌いではないので、そこまで苦ではない。
それでもこのパートの作業が昆布巻き作りの中で最大の難関となるのは、それぞれの具材の大きさと数を合わせる必要があるからだった。
流れ作業に入る前に、ニシンがこれだけあるからこのくらいに切って、昆布も合わせて・・・と勘定し、かんぴょうもぐるぐると折りたたんで同じくらいの長さにと切り分ける。ニシンも昆布も自然のものなので大きさは個体によってまちまちで、まるでパズルのようだ。

どのみち、この辺りはわたしよりはガハクの得意分野。
おせち作りにおいてどちらが何をするかは年によって、つまりガハクの仕事の多忙さの状態によってシフトチェンジされてきたが、いつしか出汁を引くのと昆布巻きはガハクの担当で、その他はわたしが作るという形に落ち着いた。

さて、今年のおせちではガハクによって24個分の昆布巻きがセッティングされ、余ったかんぴょうで縁起のよい飾り結びの一種「総角(あげまき)結び」までオマケとして2個作ってくれた。

準備の整った昆布巻きを鍋底にきれいに並べ、山口家が使用するレシピに基づいて調理していく。まずは出汁で素材が柔らかくなるまでじっくり煮込み、そのあと味付けをして染み込ませるように煮詰めていく。いい匂いが台所中に漂う頃に完成といった流れだ。

「今年も昆布巻きがうまく出来た・・・」
三が日も過ぎる頃、自作の昆布巻きを食べながらガハクが唐突につぶやいた。誰に向けて言うでもなく、ガハクの心の声が漏れ出てきてしまったような様子であった。
これまで味に関してはおいしくなかったためしがなくて、毎年実においしい。それでも準備過程の厄介さと、焦げつきやしないか注意しながら煮込む必要があり、何度も作っているとはいえ、仕上がるまでは気が気ではないのだろう。その言葉からは安堵もみてとれて、わたしも言葉を返す。
「うん、おいしいね」

当初、ガハクから「昆布巻きを作る」と言われた時は全然乗り気ではなく、仕方なく付き合った節があったが、出来上がった昆布巻きを一口食べてその気持ちは即座に吹き飛んだものだった。
自分達で作った昆布巻きは大ぶりで、思い切ってがぶりとかじりつくことになる。すると歯応えもかすかに昆布とニシンが柔らかくちぎれ、難なく口の中に入ってくる。出汁そのもののような昆布に、煮汁の染み込んだニシン、噛み締めるごとにじわりじわりとうまみが広がっていき、どこか海の気配があるが生臭くはない。
味わって満足したところで、お酒を一口。お互いが引き立て合う感じだ。ガハクの言っていた通りのおいしさで、以来おせちで食べるのが楽しみになった。

たぶん昆布巻きはおせちの主役ではない。
でも、無いと主役の不在よりもさびしいかな、と思ったりする。
現在あと2本、昆布巻きが残っている。食べ終わると、今年のお正月も終わりだ。

■次回「ヒゲのガハクごはん帖」は2025年2月第2週に公開予定です。


●山口晃さんってどんな画家?
1969年東京都生まれ、群馬県桐生市に育つ。96年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。 2013年『ヘンな日本美術史』(祥伝社)で第12回小林秀雄賞受賞。
日本の伝統的絵画の様式を踏まえ、油絵で描く作風が特徴。都市鳥瞰図・合戦図などの絵画のみならず立体、漫画、インスタレーションなど表現方法は多岐にわたる。
主な個展に、2015年「山口晃展 前に下がる下を仰ぐ」(水戸芸術館現代美術ギャラリー、茨城)、18 年「Resonating Surfaces」(大和日英基金ジャパンハウスギャラリー、ロンドン)、23年「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」(アーティゾン美術館、東京)など国内外展示多数。
2019年 NHK大河ドラマ「いだてん 〜東京オリムピック噺〜」のオープニングタイトルバック画を担当し、22年善光寺(長野)へ《善光寺御開帳遠景圖》を奉納。 昨年フランスの出版社「LES ÉDITIONS DE LA CERISE」より刊行、国内流通することなく完売となった『CHRONIQUES D’UN JAPON MERVEILLEUX / とあるニッポン博覧圖』の再版が実現し、国内でも販売の運びに。スリップケース入りで大ボリューム、洗練された装丁による豪華仕様。現在、ミヅマアートギャラリーのオンラインショップにて直筆サイン入りを販売中。

山口晃『CHRONIQUES D’UN JAPON MERVEILLEUX / とあるニッポン博覧圖』
言語|日本語 ・フランス語併記
仕様|ソフトカバー、スリップケース(函)入り、カラー 220ページ
サイズ|300 x 240 mm
テキスト|フランク・マンガン(Franck Manguin)
インタビュー|小山ブリジット(Brigitte Koyama-Richard)、フランク・マンガン

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