1990年代からソフィ・カル作品を扱い、アーティスト本人と旧知の仲であるギャラリー小柳の小柳敦子さん。現在、三菱一号館美術館で開催中の展覧会「再開館記念『不在』-トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル」の展示を見ながら、ソフィとの思い出話を交えつつ貴重なお話を伺いました。
聞き手・文= 松原麻理
今回の展覧会では「不在」というキーワードで19世紀のフランス人画家ロートレックと、現役のフランス人現代美術家ソフィ・カルをゆるく繋いでいるが、展示室は分かれている。本稿ではそのうちソフィ・カルの展示について触れていく。
小柳さんからお話を伺う前に、前置きとしてなぜ19世紀末西洋美術の紹介を軸とする三菱一号館美術館でソフィ・カルを扱うことになったのかを記しておきたい。2017年パリの狩猟自然博物館でソフィ・カルが個展を開いた時、それを見た前館長の高橋明也氏が感銘を受け、ソフィに会いに行った。その場で展覧会開催の話はされなかったが、のちに館長が辞任する直前に話がまとまり、まず三菱一号館美術館の視察にソフィ・カルを招いた。ソフィはたまたまオディロン・ルドンの大きなパステル画《グラン・ブーケ(大きな花束)》が壁の向こう側に保管されているのを見て興味をいだき、今回展示されている新作《グラン・ブーケ》を制作したのだ。
補足すると、ルドンの《グラン・ブーケ》はもともと壁画で、移動の際に表面のパステルが剥落する恐れがあることから、壁にかけたままの状態で保管される。非公開期間は仮設壁を立ててその裏に隠されているのだ。ソフィは絵画を隠した仮設壁を美術館の職員や監視員らに見てもらい、そこに何が見えるかを語らせた。その文章を、プレキシガラスパネルに映し出されたルドンの《グラン・ブーケ》の上に重ねる。パネルの絵画は一定時間で点滅する仕掛けで、絵は消えて文字が残る。
小柳 そこには「無い」絵画を前に、人は何を思うか。まさに「不在」をテーマにした作品ですよね。ソフィはこれまでも、コロナ禍で閉館中のパリ・ピカソ美術館の壁にかかった名画が埃よけの紙ですっぽりと覆われているのを撮影して作品化したり(『監禁されたピカソ』シリーズ/本展に出品中)、ボストンのイザベラ・スチュアート・ガードナー美術館でフェルメールなどの絵画が盗まれ、残された額縁を修復して元の場所にかけた時、学芸員や監視員や来館者に何が見えるかを問いかけたり(『あなたには何が見えますか』シリーズ/本展に出品中)。「不在」や「喪失」を一貫してテーマにしているアーティストです。
《限局性激痛》の旅を共に追体験した仲
まずは小柳さんとソフィの出会いから聞きます。
小柳 90年か91年頃、海外のどこかのギャラリーでソフィの作品、確か『ホテル』をたまたま見て、かなりヘンだけど面白い人だなと思いました。それで本人に会いに行き、「日本で展覧会をしませんか?」と誘ったら、彼女は「私がどれだけ日本を嫌いか、あなた知らないの?!」と、のちに『限局性激痛』シリーズにつながる傷心ストーリーを語ったんです。「あんな悲劇はもう思い出したくない!」とか言いながら、とうとうと一部始終を話してくれました。
註1:『ホテル』The Hotel(1981)=ヴェネチアのホテルでメイドの職を得た作家本人が、使用済みの客室を撮影し作品化
註2:『限局性激痛』Exquisite pain(1999)=1984年に日本行きの奨学金を得た作家が、最愛の恋人を置いて日本を旅し、恋人に別れを告げられるまでの約90日間を、カウントダウンしながら1日1カットの写真とテキストでたどる第1部。その悲劇を語り聞かせた友人や知人に自らの最悪な出来事を語ってもらい、その言葉を刺繍した布と写真で構成する第2部。以上2部構成による作品。1999年〜2000年、東京・北品川の原美術館(現在は閉館)で世界初公開された
小柳 それからしばらくして、突然ソフィから連絡が来て、「あなたに全部話したらスッキリしたから、それを作品にして日本で展覧会にしましょう」と言われたんです。それで、ソフィは14年前の日本滞在を作品化するためにもう一度、同じ旅をすることになり、私が同行しました。京都や伊勢神宮や高野山も一緒に旅行したんですよ。
でも、最初のソフィの話では、作品を入れる額を100個も用意しなければならなくて、それが賄えるかと聞いてきたんです。どんなに安くたって額1つ3万円から5万円はしますから、500万円近くかかるわけ。当時、私は画廊を始めたばかりでしたから、さすがに用立てできない、と一旦は断ったんです。あの時、ソフィは私のことを試したんだと思う。「本当にやる気があるのか?」って。のちにソフィはピカソ美術館で個展をする際に自宅にあるありったけの私物を運び込んだように、とにかく大ごとになるんです。美術館やギャラリー側が躊躇するような無理難題を吹っかけるところがある。つまりこちらの本気度を試しているんでしょうね。それぐらいの気概でやらないと、いい展覧会にはならないってことでしょう。
一度は断った後、ユーロスペースで、彼女が恋人だったグレッグ・シェファードと共作した映画『ダブル・ブラインド』(1992)を見ました。その若いアメリカ人との恋が早晩終わることを悟ったソフィは、彼に映画を一緒に作ろうと持ちかけ、互いにカメラを回しながらアメリカを横断するというロードムービーです。寝起きのベッドを写しながら「No sex last night」とつぶやいたりするのですが、途中で「ドライブイン・マリッジ」に寄り、結婚式を挙げるシーンが出てきます。そこで結婚しても、ラスベガス内だったらすぐに離婚ができるから。でもそのヤラセの結婚式の写真に写ったソフィの嬉しそうな顔! 普段は意地悪ばかり言っているソフィが素直ににっこり笑っていて、なんて可愛い女だろうと思ったの。それで、この人には何か力になってあげなければいけないと感じて、彼女にもう一度連絡をとり、私はありったけの貯金をおろし、彼女もいくらか出して、制作経費にしたのです。そうやって完成したのがあの『限局性激痛』です。それをすぐ原美術館の当時の館長、原俊夫さんに持って行ったら、即決で展覧会を開催。なんと最後には全て買い取ってくれました。私もソフィも大喜び。これで画廊が傾かなくて済むって。
註3:ギャラリー小柳 =生家が東京・銀座の陶器舗〈小柳商店〉である小柳敦子は1987年、小柳商店美術部として小柳ビル(現在は改装済)の8階に現代陶芸ギャラリーを開廊。当時は小池一子が主宰する女性だけのクリエイティブ会社「キチン」にも所属し、小池が営む現代アートオルタナティブスペース〈佐賀町エキジビット・スペース〉を手伝っており、1988年に同スペースで初個展を開いた杉本博司と出会う。それをきっかけとして現代陶芸から現代美術へと興味が移り、1995年に現代美術画廊〈ギャラリー小柳〉を同ビル1階にオープンした。ソフィ・カルと出会ったのは、現代陶芸ギャラリーから現代美術画廊へと移行する端境期にあたる
註4:映画『ダブル・ブラインド』(1992) 監督・出演/ソフィ・カル、グレッグ・シェファード
「本当」とはいったいなんなのか?
1996年4月〜5月にギャラリー小柳でソフィ・カルの初個展「本当の話」を開催。1999年11月〜12月には2回目の個展「Double Game」を開催し、同時期に原美術館で「限局性激痛」展が行われた。
小柳 『本当の話』シリーズは、ソフィの最初の日本語翻訳著書『本当の話』(野崎歓訳・平凡社)があるので、面白いからぜひ読んでみてください。彼女の人生にあったさまざまな出来事を1枚の写真と短い文章で表現した作品群です。シリーズは違うけれど、三菱一号館美術館で展示されている『自伝』シリーズも似ていますね。その中の《今日、私の母が死んだ》なんて、ちょっと泣けてしまいます。
1986年12月27日、母は日記に「今日、私の母が死んだ」と書いた。2006年3月15日、今度は私が「今日、私の母が死んだ」と書く。もう誰も私のためにそう言ってくれる人はいないだろう。これで終わり。(《今日、私の母が死んだ》に添えられた文章)
小柳 『本当の話』と言っても、作品にするということは何かしら手が加えられているわけで、その時点で脚色や嘘も混じってくる。写真だって、何をどのシチュエーションで、どんな光で撮るかによって真実は操作されている。つまり、「本当とは一体なんなのか」ということを考えさせられます。『追跡』にしても、本当に男のことが気になって追いかけたわけではない。追いかけたらどんな面白いことが待っているか? というゲーム感覚が、常にソフィの中にはあるのでしょう。物議をかもした作品《アドレス帳(Address Book)》(1983)だってそうでしょう? 拾ったアドレス帳に綴られた電話番号を片っ端からかけて、出た相手にアドレス帳の持ち主はどんな人物だったかを語らせ、それをフランスの『リベラシオン紙』に掲載し、持ち主から訴えられるという大騒動になったのですが、ソフィにしてみればそんなこと最初から分かりきっているわけです。最後は自分のヌード写真を新聞に掲載することで謝罪するのですが、そこまでソフィは織り込み済みでやっている。すごい度胸だし、嫌なやつなのです(笑)。
ひねくれ女の秘めた本心
小柳 ひねくれ者でお世辞が大嫌いなソフィは、旅館の玄関先で過剰な出迎えを受けたりすると途端に不機嫌になるの(笑)。私もよく30年以上付き合っていると思うけれど、それでも関係を断てないのは、ソフィの中にどこか真実があるから。根本的には裏切らない人なんです。ふだんは絶対「ありがとう」なんて言わないけれど、先日、個展開催のディナーの席でのスピーチでさりげなく「アツコ、30年間ありがとう」なんて言ってくれて、ほろりとさせられたり。そこは杉本さんと似ているわね。杉本さんもふだん私に感謝しているなんて言った試しがないから(笑)。ソフィと杉本さんは相性が良い。お互い意地悪なことを言い合いながら仲良しなの。「なんであなたの作品ばかり値段が高くなって、私のは安いのよ?!」とか文句言って(笑)。私も下町育ちだから、愛情をこめながらけなすのが挨拶がわりというか、ひねくれながら関係を築いていく。そこがソフィとうまく付き合う秘訣かもしれません。
ハッピーな時に作品は生まれない
小柳 ソフィは、「ハッピー・ピリオドの時に作品はつくれない」と言っていました。つまり失恋したり、肉親をなくしたり、落ち込むような出来事があった時に作品は生まれるのだと。何か失ったものを埋めるかのように制作し、作品に昇華している。だからつねに「不在」や「喪失」がテーマになっているのでしょう。
彼女の作品は、基本的に自分の身のまわりに起きた具体的なことを題材にしています。けれども結果的には見る人みんなにハッと思わせるような普遍性を帯びている。そこが彼女の才能だと思います。個人的なことを作品にするアーティストは多々いますが、ただ内輪の話に終始してしまうパターンが多い。それをもう1段階広げて、胸を打つ作品にしてしまうのがソフィの力ですよね。
個人的なことを作品にするといえば、アラーキーこと荒木経惟。妻の死という私的なストーリーを普遍的な物語として作品にした人ですが(『センチメンタルな旅・冬の旅』)、ソフィはアラーキーが大好きなのよ。荒木さんが使い古したカメラを譲ってもらったそうです。いつだったか、荒木さんがソフィを撮影する機会があって、ソフィは裸にされて縛られると思って楽しみにしていたけど、顔のアップしか撮られなくてがっかりした、と言っていました(笑)。
ソフィ・カル / Sophie Calle
1953年フランス・パリ生まれ。父は内科医でアートコレクター、母は文学者。7年間の世界放浪を経て、1979年よりパリを拠点にアート活動を始める。シリーズ『盲目の人々』(1986)、『最後に見たもの』(2010)など、「喪失」や「不在」についての考察を創作の軸にしている。2024年、第35回高松宮殿下記念世界文化賞を受賞(絵画部門)。
会期|2024年11月23日(土) – 2025年1月26日(日)
会場|三菱一号館美術館
開館時間|10:00 – 18:00[祝日を除く金曜日、会期最終週平日、第2水曜日は10:00 – 20:00]入館は閉館の30分前まで
休館日|月曜日[ただし12/30, 1/13,20は開館]、年末年始[12/31, 1/1]
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