アーティゾン美術館で現在開催中の「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×毛利悠子—ピュシスについて」では、現代アーティストの毛利悠子さんがテクノロジーと手仕事を用いて、私たちが日々利用しているけれども特段気にしていない「見えない力」の存在を視覚化しています。誰もいないのに突然明かりが灯り、音が鳴る、物体が動き始める、魔術を見せられているような展示です。[長谷川]
「物事には見えないものがある。それこそが重要なのかもしれない。」
ガリレオ・ガリレイ
私たちの身の回りには、目には見えないけれど確かに存在する「力」が4つあります。電磁気力、重力、元素を構成する強い力、そして核分裂や核融合のもととなる弱い力です。スマートフォンを使うたび、電子レンジで加熱するたび、これらの「力」は黙々と働いているのに、私たちはその存在をほとんど意識していません。毛利さんが作品を通じてこれらの力を呼び覚ますと、無生物である物体が意志をもつかのように動き出す、その神秘と脅威に私たちは惹きつけられます。
果物が歌い、日用品が踊り出す空間
最初に私たちを出迎えてくれる《Decomposition》は、果物と電極という意外な組み合わせから生まれる作品です。果物に電極をさすことで発生する微弱な電流が、スピーカーからの音と電球の明かりへと変換されます。これは果物の含む水分量により抵抗値の変化で音が変わる仕組みで、小さな果物が、まるでオーケストラの指揮者のように音と光を操る様子は、科学の不思議さを改めて実感させてくれます。
果物から延びるコードの先に電球の灯る回廊が、空港の誘導路のように私たちをメインのフロアに導きます。そこは、美術館らしからぬ斬新な設計。通常の展覧会では当たり前のように立ちはだかる仕切り壁を跡形もなく消し去り、フロア全体が見渡せる開放的な空間にしています。湘南育ちの毛利さんは、海を眺める感覚を意識して、視覚が広がる展示空間を作りました。これは美術館の常識を打ち破る大胆なレイアウトです。
展示室のあちこちで、ブラインドやスキャナー、スプーンといった日用品が踊り、音や光を放っています。まるで、物が自ら意思を持ってパフォーマンスしているかのように見え、その光景は物理実験室のようでもあります。
なかでも《Magnetic Organ》は不思議な作品です。一見すると静かに佇むモビールですが、吊るされたコイルの中には微弱な電気でも音を発する特殊な素子(ピエゾ素子)が仕込まれています。コイルが磁場内に入ると電流が発生し、繊細な音が流れます。静かなモビールが放つ音色の背景には、毛利さんが自然界の力と真摯に向き合う姿勢がうかがえます。
毛利さんはこのような作品制作について、「テクノロジーや手仕事を使って、自然界に起きていること、物理的に起きていることを理解したかった」と語っています。
古来、地球上で垣間見える「見えない力」に人々は興味を抱き、それを解明しようとして科学が進歩してきました。毛利さんは、最新のテクノロジーを内部に忍ばせながらも、その仕掛けを巧みに利用し、詩的な作品として観せてくれます。その姿は、さながら現代の魔術師といえるでしょう。
モネのパッションが繋ぐ世紀を超えた共創
この展覧会は、石橋財団が所蔵する近代美術の名作と、現代アーティスト・毛利悠子さんとの対話も大きなテーマです。毛利さんは石橋財団の膨大なコレクションの中から、宝を探すように10点の作品を選び出しました。通常の美術館での距離をとった鑑賞とは異なり、作品を間近で様々な角度から観察し、制作者と同じ視点で向き合うことで、高次元のインスピレーションを得たといいます。そのインスピレーションをもとに、自身の作品を新たな次元に昇華させました。
とりわけクロード・モネ(1840-1926)の《雨のベリール》との共演は印象的です。この作品が描かれた1886年は、産業革命の進展に伴い鉄道であちこちに行けるようになった時代でした。毛利さんは、モネがこの絵を描いたフランス・ブルターニュに行ってみようと発想したものの、たどり着くまでに、飛行機、特急列車、バス、フェリー、自転車と乗り継ぐことになり、アクション映画のような冒険となりました。
《雨のベリール》を描いた場所は今も残っており、これがなんと足場に困るようなスリル満点の崖っぷち。モネの絵画は、鮮やかな色彩で穏やかな自然を描いている印象がありますが、《雨のベリール》は荒々しい波。全く新しい絵画を描こうと、モネは大冒険の末に、今にも海に引き込まれそうな場所に立ったに違いありません。毛利さんは、彼の創作へのパッションに衝撃を受け、この崖から同じ構図をカメラで捉えることにしました。そして誕生した作品《Piano Solo: Belle-lie》は、ブルターニュの海の映像と、その波の音をデジタル信号に変換してピアノを自動演奏させるという仕掛けが用いられています。モネのパッションに応え生み出された共創です。
偶発性が心を揺さぶる
人類は、テクノロジーを使って「見えない力」を完全にコントロールすることを目指してきました。そのため、現代の私たちは、すべてが計画通りに進むことを当然のように考えがちです。しかし、毛利さんの作品は、あえてその反対を行きます。ジャズの即興のように偶発的な要素を積極的に取り入れることで、まったく予想外の発見や体験を生み出しています。
例えば、《Decomposition》では、果物が腐っていく過程も作品の一部となっています。果物に電極をさしたときの電流は、気まぐれに揺らいでいて、それに伴って音や光も変化していきます。普通の展覧会なら、腐りかけの果物は、危険視されて即座に撤去されるでしょう。しかし、この作品では朽ちていくことも魅力的な要素なのです。
また、《Piano Solo: Belle-lie》でも、マイクが拾う音の揺らぎにより、ピアノは二度と同じ音色を奏でることがありません。それは、自然界における進化のプロセスにも似ています。突然変異という予期せぬ出来事が、生態系の多様性とバランスを生み出してきたように、毛利さんの作品も、かすかな空気の流れや、床に落ちた埃などの偶発的な要素を受け入れることで、アーティスト自身も予測不可能な表現を生み出しています。
最も挑戦的な作品が《鬼火》。美術館では通常使用が禁じられている「水」を大胆に使用しています。水を張ったプールに金属の網戸を浮かべ微弱な電流を流し、風に揺れるカーテンがたまたま網戸に触れると、妖精のいたずらのように火花が散り、同時に鉄琴が鳴る仕掛けです。いつどこで光るかわからない火花は、夜空にふと現れる流れ星のよう。偶然性がもたらす美しさは私たちの心を揺さぶり、いつまでも眺めていたくなります。
未知への探求 – 新しい時代の魔術師
毛利さんは、作品の説明を最小限にとどめ、私たちが作品との独自の関係性を見つけられるよう配慮しています。彼女の作品には「謎」があり、それが私たちの好奇心や探究心を刺激して、驚きや感動を引き出すのです。
さらにこの展覧会は、テクノロジーと芸術、過去と現在、制御と偶然性という、水と油のように相反する要素を見事に調和させています。それは完全なコントロールを求める現代社会に対する、アーティストからの優しくも大胆な問いかけなのかもしれません。
タロットカードの「魔術師」には、天からのエネルギーを受け、四大元素を使いこなして新しいものを創造する魔術師の姿が描かれていて、毛利さんの制作の姿そのもの。彼女は現代に降臨した魔術師として、作品を通じて、未知なる存在との新たな関係性を私たちに示してくれています。「見えない力」の存在と偶発性が織りなす魅力に触れることは、日常を新しい視点で見つめ直すきっかけとなります。そして、私たちは、ガリレオの言葉にある、「目には見えないものこそが重要なのかもしれない」というメッセージの意味を識ることができることでしょう。
会期|2024年11月2日(土) – 2025年2月9日(日)
会場|アーティゾン美術館 6階展示室
開館時間|10:00 – 18:00[金曜日は10:00 – 20:00]入館は閉館の30分前まで
休館日|月曜日[ただし1/13は開館]、12/28 – 1/3、1/14
お問い合わせ|050-5541-8600[ハローダイヤル]
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