なぜ美術に写真が嫉妬する必要があるのか。写真は写真であるのに。 アレック・ソスの作家態度にはそういう確信がはっきりと横たわっている。美術館で展示される以上、写真作品はそのほかのアートピースとくらべられるわけだが、そこで「写真であること」の意味、豊かさを示していくこと。今回の東京都写真美術館での展覧会「部屋についての部屋 (A Room of Rooms)」の充実を体感し、あらためてソスのことばを聞きたくなった。
聞き手・文=池谷修一[写真編集者]
ソスは展覧会について「ライヴのようなもの」だという。
アレック・ソス: 音楽でいえば、いまは無料だったりするストリーミングサービスが当たり前になっていますよね。そのなかでお気に入りのアーティストのアルバムにならお金を出すとか、コアなファンもいるかもしれない。さらにライヴへ実際に足を運ぶのは、まったく別の次元のイベントに参加することなんです。私の場合だと展示を見にきて、写真はこんなふうに力を持っているんだと、驚いている人がたくさんいる。写真はこれほどにも迫力がある。こんなことができるんだって。
ソスの展示で鑑賞者はシンプルに「写真」と出会う。ただ、そこにある肖像や光景は堅牢なタブローにも匹敵する大きさと密度を持っている。ストレートに撮影した写真をストレートなまま、いかに美術館で十全に機能する状態に成立させるかをソスは熟知している。
観客が展覧会という空間のなかでばったり出会う写真には、身体的な反応が出てくるような存在感を持たせたいと思って、あのようなかたちに落ち着いています。からだで、本能的にとらえてもらえるように。ポートレート写真に出会ったときには、とくに強烈に感じてもらいたいので。
30年に渡って創作されたソスのさまざまなシリーズから、テーマにそってあらためて写真をえらび、構成する試みがなされている。空間をいくつかの部屋として区切り、そこで「部屋」に結びつく作品を展示している。一つ一つの写真と空間が独立しながら響き合いあい、 シンプルな佇まいでありつつ複雑な「部屋」の表象をかたちづくっている。
「部屋」という言葉を前にすると、とたんに子供時代の自分の部屋に戻るような感覚を味わいますね。わたしの原体験でいえば、安全で自分自身を自由に表現できる、自分でいられるところです。プライベートで内緒のものがあって。要するに、みんなの前で堂々と何かを繰り広げたりするとこじゃなくて、あけっぴろげなこととは違っている、本当に親密な場所。同時に弱さ、そういったことにも絡んでくるかな。
ソスにとって「部屋」は、自分を含め、そこに暮らしたり、滞在した人自身を率直にあらわす場所だ。
そのなかで3点だけ、「トンネル」を写した作品が出品されている。2004年に、仕事で北京へ赴いた時に、プライベートで撮っていた写真だ。キャリアの初期で、どうにもうまくいかなったはじめての国外でのアサインワークの傍だった。その時の気分を胸に、地下のトンネル網を、隙間時間を使ってうろついていた。その時、ソスは言いようのない高揚感を味わっていたという。
〈Broken Manual〉を手がけていた時、じつは「洞窟」を買おうとしていたんです。リーマン・ショックをはじめ、世界的な恐慌がおこっていた時だったので、馬鹿げたことだったかもしれないけれど、結局うまくいかなかった。それで自分のスタジオの書斎みたいなところを全部濃い灰色に塗って、そこに本をおいて息を潜めてじっとしていられる場所をつくったんです。まさに洞窟的なね。ひっそり暗くて自分でいられるところ。
〈Broken Manual〉は、現代社会から意識的に距離をおき、コミュニティと隔絶し暮らす人々などを追った作品。ドキュメンタリーでありながらとても内省的な側面を持ち、ソスは、そこに自分の内側が大きく反映されているという。
写真家として活動する時間が長くなり、それなりの経験を積んできました。これまでやってきたことが把握しやすくなって、自分自身を深いところからつかめるようになっています。そこで、私がどんな写真家であるのかと問われれば、やはり内なるものへ向かう写真家だといえます。外へ向かっていると思われがちなのですが、内側を撮っているのです。今回の展覧会で、そういった着眼点からこれまでのシリーズを解体し、組み直していくのは難しくはなかったですね。とてもスリリングだったし、興味深かった。
ソスの写真では、そこに写る人、もの、光景のバックストーリーが肝要になる。そして、えらばれた写真はそれぞれのシリーズの文脈に沿って相互に響きあうことになるのだが、「部屋についての部屋」では、その文脈が軽やかに崩されている。
写真家であることは、そもそも文脈自体をこちらが完全に思い通りにできるという状況 を放棄することでもあるんです。いうまでもなく、写真そのものとどのように遭遇することになるのかまったく思い通りにすることはできません。また何かのマニフェストを出したからといって、思い通りになるわけでもないですからね。
〈I Know How Furiously Your Heart is Beating〉は、2019年に同タイトルの写真集になり、 この展覧会が生まれるきっかけになったシリーズだ。ソスはこの作品で区切られた「部屋」を本展での「心臓部」という。世界各地へ出かけ、さまざまな人々に向かい、多くはその人たちが過ごす部屋でポートレートや持ち物を撮っている。
この作品にとりかかる一年ほど前、ソスの意識で大きな転換があった。瞑想をしていて、それまで持っていた個と他との境界線がいきなり崩れ去っていくような感覚を味わったという。それまでソスは世界と自分とを区別しながら眺めていた。そんなふうに世界を見るツールとして写真をとらえていたのだ。だが先の体験から、これ以上、互いが別々の存在なのだという意識を強めたくないと思うにいたった。
この作品は、あの神秘体験めいた経験と、ほとんど歩調を揃えるように出てきたんです。自分のシリーズのなかでナラティブ (物語)の要素がいちばん低く、写真と写真との間の物語的な関係性というものがない。私の中でナラティブを扱う格闘をやめて、一時は手放していいと思った時期があったのは大きかったですね。そこからはまた、行きつ戻りつしていますが。
ナラティブを手放すことは他者との境界を曖昧にしていくことともつながっている。
舞踊家で振付家のアンナ・ハルプリン (1920-2021)との撮影は、とくに象徴的な転換点だった。自己と他者との境界を意識して写し出されてくるものではなく、ソスはふたりのエネルギーの交換のような場から浮かびあがるものを意識し写真に刻もうとした。
「部屋」は、そこに関係するその人らしさをつつみ込み象徴する場であり、また窓から世界を望み、ドアを通じて内と外が行き来する。ソスは、長年の創作の旅の過程で写真にとどめてきた「部屋」を現在の認識で再編成し、写真を写真のままに、人々に問いかけている。
会期|2024年10月10日(木) – 2025年1月19日(日)
会場|東京都写真美術館 2階展示室
開館時間|10:00 – 18:00[木・金曜日は10:00 – 20:00、ただし1/2(木), 3日(金)は10:00 – 18:00]入館は閉館の30分前まで
休館日|月曜日[月曜日が祝休日の場合は開館、翌平日休館]、年末年始[12/29-1/1]
お問い合わせ|03-3280-0099
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