「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」オープニングへ駆けつけたアーティストと高橋龍太郎[2024年8月2日 東京都現代美術館]
上段左から|毛利悠子 加藤泉 天明屋尚 加藤美佳 太郎千恵蔵 小出ナオキ 川島秀明 森靖 千葉和成 涌井智仁 BIEN 村山悟郎 山中雪乃
中段左から|青木豊 宮永愛子 土取郁香 川内理香子 水戸部七絵 松井えり菜 西村陽平 梅沢和木 弓指寛治 坂本夏子 八谷和彦 鈴木ヒラク 大山エンリコイサム
下段左から|玉本奈々 風間サチコ 工藤麻紀子 華雪 高橋龍太郎 岡田裕子 会田誠 根本敬 今井俊介 藤倉麻子 国松希根太 奈良美智

「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」が東京都現代美術館で開催中だ。オープニングレセプションにはこのコレクションに作品が収蔵されているアーティストたちが勢揃いした。公立の美術館で一個人のフルネームを冠したコレクションの展覧会が開催されるということ。美術品を収集することは美術館の使命であり、課題のはずなのに、どういうことだろうと思われる人もいるのではないだろうか。美術館はコレクション(収蔵品)を持ち、企業や団体もコレクションし、個人もコレクションをする。

 

 

 

聞き手・文=鈴木芳雄

個人のコレクションという作品の集合体は独特の磁場をそこに生むことになる。見る側はどうしてもコレクターの想念の存在に取り込まれ、逃れることはできない。というより、その世界に連れて行かれたくて、個人のコレクションを見ているのだ。それはアーティストが作品を通じて、見る者を捉える力と同種のものだろう。アーティストが主演俳優なら、コレクターは助演俳優だ。主演だけでは演劇や映画は成り立たない。

さて、コレクションの歴史を紐解くと、ヴンダーカマー(驚異の部屋)の存在は大きい。15世紀から18世紀にかけて王侯、有力貴族たちの間で、世界中から様々な珍品を集めて博物陳列室を作るのが流行った。美術ではなく、博物学的である。ただし、現代の学術研究を根底に持つ博物館を作るというよりも、世界の縮図をそこに作ること、自分しか持ち得ない希少なものを持つことで、世界の隅々に力を及ばせ、いわば世界という領土を眼下に収めたことを誇示する意味があったのだろう。

私たちが即座にイメージする形での美術コレクションの歴史は意外に浅くて、19世紀末から第一次世界大戦前後のアメリカが顕著だ。鉄道王ヴァンダービルト、金融界からはモーガン、石油で財を成したロックフェラー。新大陸だけの話ではない。ロシアにはシチューキンもモロゾフ兄弟もいる。本邦にも大原孫三郎や松方幸次郎がいて、それぞれ大原美術館、国立西洋美術館の礎をなした。科学技術が発達し、鉄道が張り巡らされ産業やレジャーの形態が変わり、人々は都市に住み、工業製品に囲まれ、合理的で清潔な生活を送るようになった。そんな近代化が新たな富豪を生み、彼らが芸術のパトロンになった。

経済が発達すれば芸術が盛んになるわけではなく、その頃、印象派やポスト印象派という新しい画派が生まれ、多くの人に愛され、美術の世界にも革命とも言っていい波が押し寄せていて、その両方があって、稀代のコレクターたちを生んだのだ。そして、その富豪、財閥の収集品の多くは現在は公共の美術館で目にすることができる。

高橋龍太郎コレクションの話をしよう。近代的コレクターたちが現れ、活発に活動した19世紀末からは1世紀ほど後に始まっている。戦後生まれ、団塊の世代に属する精神科医、高橋龍太郎氏(1946年生まれ)が自身のチョイスで集めたもので、主に1990年代以降の日本のアーティストの作品。草間彌生、奈良美智、村上隆、会田誠、山口晃らを始め、各作家の初期作や代表作が多く含まれている。その総点数は3,500点以上で現在も増殖中。これまでにも国内外の公立・私立美術館でコレクション展を開催してきたが今回の展覧会が最大である。
高橋龍太郎氏と対話をする機会を得た。

奈良美智 《Untitled》 1999年 高橋龍太郎コレクション蔵 © NARA Yoshitomo, courtesy of Yoshitomo Nara Foundation

村上隆 《ズザザザザザ》 1994年 高橋龍太郎コレクション蔵 © 1994 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

——高橋先生は若い頃、映像作家を志し、映像プロダクションにも出入りしていたそうですが、映画は見るだけだけれど、絵は参加できると話していたのを見ました。

草間彌生さんもそうだし、一番最初のコレクションである合田佐和子さんの《グレタ・ガルボ》もそうなんですけど、部屋に置いて、何ヶ月か過ぎて、次の絵に替えるというときに、その間の感情の交流というのが、たとえば映画を見てそれっきりというのとは全然違って、すごく情緒的なものも含めて、空間を共有することは本当に一体感が強いですね。コレクターというのが単に購入するという形での参加ではなくて、絵と空間を共有することで次のステップを踏み出す同盟を組めるようなそんな意識が出来上がっていくんです。だから、だから展覧会があると、思い出一つ一つがそこにそれこそ昆虫採集の標本箱を見ているようです。展覧会が始まると自分の中にそれぞれの思い出が蘇ってくるとか、そんな感じですね。

合田佐和子 《グレタ・ガルボ》 1975年 高橋龍太郎コレクション蔵 Photo/ Kenzo Nakajima

草間彌生 《かぼちゃ》 1990年 高橋龍太郎コレクション蔵 © YAYOI KUSAMA

「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」展(東京都現代美術館、2024年)展示風景 © YAYOI KUSAMA  Photo/ Kenji Morita

——先生の年譜を見ると、確かに9歳でオニヤンマを追いかけ、蝉の幼虫が羽化する過程を標本化して賞をもらう。12歳で切手集めに夢中になり、13歳で化石を収集することに熱中したと。それはともかく、草間さんの作品に感動し、会田誠さんを教えられ、大作を収集し、山口晃の作品をここからここまで欲しいって言ったその情熱が衰えずに、今も若い作家をたくさん見て集め続けてる。そのパワーの持続はどこからくるのでしょうか。

会田誠 《紐育空爆之図(にゅうようくくうばくのず)(戦争画RETURNS)》 1996年 零戦CG制作:松橋睦生 高橋龍太郎コレクション蔵 © AIDA Makoto, Courtesy of Mizuma Art Gallery Photo/ Kei Miyajima

山口晃 《當卋おばか合戦》 1999年 高橋龍太郎コレクション蔵 © YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery Photo/ Kei Miyajima

生きてる限り、未熟なまま存在してる自分の姿がどっかにあって。それこそ最初の展覧会の名前の「ネオテニー(幼形成熟)」ですけどね。思春期を継続することが永遠の天才っていう天才論もありますよね、別に思春期を引きずってるわけでもないけれども、会田や草間、それからそれこそ山口を購入したときの、本当にこれが手に入ったそのときの驚きと、うれしさ、ドキドキ感があります。コレクションが重なってくると、彼らとともにどこか成熟していくっていうように、普通はたぶんコレクターも成熟していくと思うんですね。僕は永遠に時間の流れが逆さで、順当に歳の月日が流れるわけではなくて、逆さまに逆さまに、より若い方若い方に自分の時間感覚が、あるいは観ているものの感覚が若返っていくというか、成熟しないまま、未熟なままずっと置き去りにされていく自分みたいな感じがあるのかな。

加藤泉 左から《無題》2006年 © 2006 Izumi Kato、《無題》2004年 © 2004 Izumi Kato、《無題》2009年 © 2009 Izumi Kato、《無題》2007年 © 2007 Izumi Kato Courtesy of the artist

それと、コレクションとして何か形が出来上がってしまったのかなとの思いが、東日本大震災があったことで、本当にこのままこれで何か終わるものではない、もう一度全部解体しないとしょうがない。そういう気持ちになったんです。それからは若い作家たちを余計に丁寧に観るようになりました。

青木美歌 《Her songs are floating》 2007年 高橋龍太郎コレクション蔵 北海道立近代美術館30周年記念展示「Born in HOKKAIDO」(2007年)展示風景 Photo/ Yoshisato Komaki

鈴木ヒラク 《道路(網膜)》 2013年 「高橋コレクション展 マインドフルネス!」展示風景(2013年、鹿児島県霧島アートの森) Photo/ Mie Morimoto

——コレクションを続けていくと、どんどん研ぎ澄まされていくものではないんですか?

いやいや、研ぎ澄まされていったら逆にコレクションはもっとどんどん成熟の道を辿るはずだけど、逆さまですからね。たぶんちっちゃいときにいじめられた体験とか、いろんなこと、それから引越しも多くて、小学校のときは本当に友だちが全然できなかったこととか。そういう原体験があって、いつまでもポツンとした存在とか、ぼっちみたいなそういうものが好きなのね、もともと。いつまで経ってもどっかでぼっちだなって思いは自分の中にあって。だから、そういう若い人のぼっちな作品って言ったら変だけど、そういう割と切ない孤独な感じみたいなものがいつまでも自分に響いてくるわけ。

BIEN 《Day For Night》 2019年 高橋龍太郎コレクション蔵 © BIEN, Courtesy of Department of Arts Studies and Curatorial Practices, Graduate School of Global Arts, Tokyo University of the Arts Photo/ Masataka Tanaka

大山エンリコイサム 《FFIGURATI #162》 2017年 高橋龍太郎コレクション蔵 ©Enrico Isamu Oyama / EIOS, Courtesy of Takuro Someya Contemporary Art, Photo ©Shu Nakagawa

——先生は周りから現代アートの目利きみたいに見られていると思うんですけど、ご本人からすると、インタビューなどで答えてらっしゃる「人間の力の凄み」が見えてるってことでしょうか?

目利きというのとはちょっと違うと思う。だって本当に3500点の中では、若い作家を中心に購入していると、なかなか誰も振り向いてくれないような作品なんかたくさんあったりしますから。ただ、ギャラリーに教えられたり、美術展で何かその作家だけが違って見えたりとかはします。それは経験値が高いっていうだけの話だと思います。最初のころは本当に呆然として、ギャラリストに「作家はこの中でどれを気に入ってるんだろうね」とか、そういう馬鹿馬鹿しい質問してたりしてたんです。二年、三年も過ぎたらさすがにそんなことは言わなくなったけど、そんな感じでしたよ、本当に。でもミヅマアートギャラリーの作家たちはスタイルが決まってたから、ある意味で選択するのがわかりやすかった。でも小山登美夫さんのところなんか行っても、どれがどうだよみたいな感じはあったりした。オオタファインアーツは草間さんばっかりだったから、どれを選んでも素晴らしいって思った。だからギャラリーによってずいぶん違ったし、そういうのを比較する見取り図みたいなものが自分の中にだんだん出来上がっていったんだと思う。

展覧会を見渡してみて、あらためて高橋龍太郎コレクションはどのように形成されてきたか考えてみる。先生は子ども時代、引越しのため転校が多く孤独がちで、その記憶から今でも孤高な戦いを続けている若いまだ無名の作家に眼を向けることを大切にしている。学生運動が盛んだった時代に大学時代を送ったことは体制への異議申し立ての視点を持つという習性を失わないためか、日本の文化や社会に対する鋭い批評性を備えた作品が多いのも特徴である。職業柄、人間への深い洞察や興味から人を描いたものを多く集めているのも特徴。また、東日本大震災も大きな影響を与えた。生命の再生こそが重要なテーマとなった。

小谷元彦 《サーフ・エンジェル(仮設のモニュメント2)》 2022年 「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」展(東京都現代美術館、2024年)展示風景 © ODANI Motohiko, Courtesy of ANOMALY

1990年に高橋先生は都立荏原病院を退職。東京都蒲田にタカハシクリニック開設。最初の3年間は赤字が続いた。97年頃からコレクションが本格的に始まる。その頃、日本の現代アートの動き自体がそれまでになく、活発になっていった。新しい世代のギャラリーが生まれ、世界進出を視野に入れた活動を始めていた。美術館も若いアーティストたちの展覧会を積極的に展開する。96年「TOKYO POP」(平塚市美術館)、99年「時代の体温」(世田谷美術館)、99年〜2000年「日本ゼロ年」(水戸芸術館現代美術ギャラリー)、01年「奈良美智展 I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME.」(横浜美術館)、「村上隆展 召喚するかドアを開けるか回復するか全滅するか」(東京都現代美術館)など、これはほんの一部だ。

これら展覧会の参加作家たちと高橋龍太郎コレクションに収蔵されている作家たちは重なり合うところが多い。日本の現代アートの盛り上がりと世界展開と高橋龍太郎コレクションの成長は軌を一にしている。19世紀末の多くの財閥系コレクターにとって印象派、ポスト印象派の作品収集というテーマがあったように、高橋龍太郎コレクションにも魅力的なテーマが用意されていたのだ。

もう一つ、書き留めておかなければならないことがある。この展覧会の会場である東京都現代美術館は1995年3月開館。この美術館も高橋龍太郎コレクションも90年代半ばに始まり、現在に至っている。東京都現代美術館には東京都美術館などの母体ともいうべきものがあったということや収集の目的や役割、使命、開設準備期間があったことなどを考えると、単純比較できないが、公の美術館の収集と個人の美術コレクションを比較しながら、考えるのは興味深くもあり、意味もあると思う。

日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション

会期|2024年8月3日(土) – 11月10日(日)

会場|東京都現代美術館 企画展示室 1F/B2F、ホワイエ

開館時間|10:00 – 18:00[展示室入場は閉館の30分前まで]

休館日|月曜日(9/16、9/23、10/14、11/4は開館)、9/17、9/24、10/15、11/5

お問い合わせ|050-5541-8600(ハローダイヤル)

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