ジャン=ミッシェル・フォロン 《無題》 1983年頃 フォロン財団蔵 ©Fondation Folon, ADAGP/PARIS, 2024-2025

20世紀ベルギーを代表する偉大な芸術家、ジャン=ミッシェル・フォロン。その表現の多様性と首尾一貫性を約230点の作品を通して振り返る展覧会「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」が9月23日まで東京ステーションギャラリーで開催されている。日本では約30年ぶりとなる大規模回顧展で、2025年には名古屋市美術館、大阪のあべのハルカス美術館へ巡回する。  

白いユーモアを追求した20世紀ベルギーを代表する芸術家

ルネ・マグリットの影響も受けたといわれるどこか不思議な絵。それを淡くやわらかい色彩で描いてきた作品で知られるフォロン。どの作品を見ても彼の作品だとわかる一貫した世界観を示しながらも、墨やカラーインク、水彩、シルクスクリーンからアクアティントと呼ばれる銅版画表現など多彩な表現方法を試してきた探究心あふれる作家でもあった。
このフォロン独特の世界観は「人間とこの世界の現実を見据えつつも、それをポジティヴなエネルギーに変えていくことをあきらめない」humour blanc(白いユーモア)がかなめ——そう語るのは浅川真紀氏、本展の構成で中心的役割を果たしたあべのハルカス美術館上席学芸員だ。
フォロンはこの「白いユーモア」を絵画作品だけでなく、商業ポスター、写真、彫刻、さらにはアニメーションなどさまざまな形態で展開した。
展覧会冒頭では、テレビなどを通しても人々に親しまれていたアーティストであるとわかるように、フランス公共放送「アンテーヌ2」が1976年 から1983年まで7年間、1日の放送の終わりに流していたアニメーションも紹介されている。

「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」展示風景 「アンテーヌ2」のためのアニメーション

スティーブ・ジョブズが破格の報酬で委嘱を依頼

注目の展覧会だが、私は多くの来館者とは異なる関心を持ってこの展覧会を観ていた。私は35年以上にわたってアップル社や、その共同創業者のスティーブ・ジョブズを取材してきているが、実はフォロンはそのジョブズがコミッションワークを依頼した数少ないアーティストの1人なのだ。

1984年、ジョブズが自らの名声のすべてをかけて発表したのが今日のパソコンの原型とも言える製品、初代Macintosh(Mac)だが、ジョブズはその開発過程でフォロンを知ったという。
その作風に惚れ込み、一説では3万ドルを前払いしてMacのロゴの制作を依頼したという。しかも、採用が決まればMacが1台売れるごとに1ドルのロイヤリティーを支払うという約束までしていたようだ。ジョブズは極めてお金に厳しいことで有名だ。創業から貢献してきた同級生の親友にも仕事ぶりが気に入らず未公開株を譲らなかったなど、そのケチぶりを示すエピソードならたくさんある。それゆえ、フォロンに出したオファーは異例中の異例と言える。

ジャン=ミッシェル・フォロン 《無題》 フォロン財団蔵 ©Fondation Folon, ADAGP/PARIS, 2024-2025

今回の展覧会では、そんなジョブズによるコミッションで作られた作品のうち3点が展示されている。

ジョブズはアートについてはハッキリとした好みを持っている。高校時代の親友の家に川瀬巴水ら日本の新版画が飾られていたことで若くして新版画に魅了された。またパブロ・ピカソの制作の姿勢や言動からも大きな影響を受け、度々、ピカソの言葉を引用したり、その作品を手本として社員に示したり、「Think different.」という広告キャンペーンでも自らのヒーローとしてフィーチャーしている。

初代Macを発表した1984年、ジョブズはまだ28歳。当時のコンピューター業界といえばテクノロジー一色の世界だったが、ジョブズはその中でアップルの事業を通して「サイエンスとアート」を融合することを目指していた(晩年のジョブズはこの考えをブラッシュアップして「テクノロジーとリベラルアーツ」と言い換えていた)。
Macの前に世界初の家庭用パソコン、Apple IIを世界的にヒットさせ、若くして億万長者になったジョブズ。しかし、その後、外部から招いた経営のプロによって閑職に追いやられていた。Macintoshは、そのジョブズが起死回生に向け自身のすべてを賭して臨んだ製品であり、自らもアーティストになりたかったジョブズの渾身の作品だった。
他のパソコンが、チャップリンの映画『モダン・タイムス』に登場する機械のように人間性を奪う無機質な存在だったのに対して、ジョブズはMacをぬくもりのあるコンピューターにしたいと思っていた。そこでこだわったのが本体を人の顔のようなサイズや見た目にすることと、イメージキャラクターを作ることだった。

1982年、ジョブズはMacを擬人化したMr. Macintoshを作ることを思いつく。Macの中に住むミステリアスなキャラクターで、Macを使っていると時々、ひょっこりと画面に姿を現すというものだった。アイディアを温め始めてから数ヶ月後、ジョブズはこのキャラクターを頼めるクリエイターを探して周り、その過程でフォロンを見つけたと言われている。

ジャン=ミッシェル・フォロン 《無題》 1968年頃 フォロン財団蔵 ©Fondation Folon, ADAGP/PARIS, 2024-2025

フォロンに惚れ込んだジョブズは、彼をカリフォルニア州クパティーノのアップル本社に招いて開発中のMacintoshを見せた。フォロンもこの人間味のある新しいコンピューターを気に入ったようでオファーを受け、1983年春にスケッチブックに描き溜めた作品を手にアップル本社を再訪した。

その時に提示された作品の中には、Macintosh本体が顔となっているキャラクターがキーボードを抱えながら空を舞う「The Macintosh Spirit」や、トップハットを被り英マッキントッシュ社(実はこちらはスペルがMACKINTOSH)を連想させるコートを着た「Mr. Macintosh」などいくつかのパターンがある。
今回の展覧会で展示されているのは帽子をとって挨拶をすると、その頭からアップル社のロゴマークが現れるという作品と、そのキャラクターを作る前の習作、そしてもう1つ別案で頭の中からロゴの代わりにアイディアのかけらのようなたくさんの線が飛び出している絵だ。絵の上には「MAC MAN」と書かれている。

ジャン=ミッシェル・フォロン 左上から時計回りに《Mac Man》 《無題》 《無題》 いずれも1983年頃 フォロン財団蔵 ©Fondation Folon, ADAGP/PARIS, 2024-2025

ジョブズとフォロンの頑張りも虚しく、フォロンのキャラクターはMacの試作品基板に1度印刷されただけで製品には採用されなかった。当時のMacが非力で、画面にアニメーションを表示するほどの余力もなければ、400KBのフロッピーディスクにアニメーションの絵を収録する余裕もなかったのだ。
ただジョブズとフォロンとの交流はその後も続いていたようで、1990年にフォロンがジョブズに送ったという礼状が見つかり、オークションにかけられたこともある。
また1998年、アップルを追い出されたジョブズが、同社に復帰して放った最初のヒット作、iMacを開発していた当時、ジョブズはこの製品を「MAC MAN」と呼びたがっていたとiMac命名者、ケン・シーガル氏が証言している。

ジョブズとフォロンの共通項

それでは、スティーブ・ジョブズは、フォロンをどうやって見つけ、どんな部分に惹かれたのだろう。
私は展覧会の冒頭でその答えを見た気がした。公共放送「アンテーヌ2」のアニメーションだ。

テレビをつけっぱなしにしていると、たまに現れるミステリアスなキャラクター。これはMr. Macintoshのコンセプトそのものだ。人々の夢をのせて空を飛ぶ姿が「The Macintosh Spirit」という絵にも通じるものがある。パリも頻繁に訪れていたジョブズが、たまたまこのアニメーションを目にした可能性は十分にあると思う。もちろん、この時代、フォロンは既にアーティストとしてもグラフィックデザイナーとしても世界的に知られた存在で、映画ポスターなど他のきっかけだった可能性も否定できない。
では、他にもたくさんいたであろうクリエイター候補の中から、どうしてジョブズはフォロンに惹かれたのだろう。私は3つの要因があると思っている。

1つは絵が極めてシンプルであること。ジョブズは川瀬巴水やピカソの絵にもシンプルさを求めた。ピカソが有名な「雄牛」の絵を描くまでに、どれだけ習作を重ねてシンプル化したかは社員にも手本にさせていたことで知られている。フォロンの作品もこれ以上は簡略化できないというまでにシンプルに構成要素や線を削ぎ落とした作品が多い。

ジャン=ミッシェル・フォロン 《無題》 フォロン財団蔵 ©Fondation Folon, ADAGP/PARIS, 2024-2025

2つ目はフォロンが好んだ透明水彩の作品などによく表れている暖かく柔らかな色彩だ。展覧会に並べられたさまざまな作品を見るうちに、おそらく使われた着色料も描かれ方も異なっているはずなのに、ジョブズが好きだった川瀬巴水が描く夕景や朝景の色彩を連想した。淡いのに鮮やかで、見る人を優しく包み込むような感覚がある。

ジャン=ミッシェル・フォロン 《いつもとちがう(雑誌『ザ・ニューヨーカー』表紙 原画》 1976年 フォロン財団蔵 ©Fondation Folon, ADAGP/PARIS, 2024-2025

3つ目はフォロンの絵に度々登場し、展覧会のタイトル「空想旅行案内人」を思わせるキャラクター「リトル・ハット・マン」の存在だ。フォロン本人の分身とも言われるが、シンプルでニュートラルであるが故に鑑賞者も感情移入できる存在となっている。常に前進を続ける探究者であり、冷静な観察者でもある点もジョブズが求めていたイメージに合致したのではないかと思う。

ジャン=ミッシェル・フォロン 《月世界旅行》 1981年 フォロン財団蔵 ©Fondation Folon, ADAGP/PARIS, 2024-2025

アップル本社で会って会話を交わした2人は、おそらくさらに多くの共通点を見つけて盛り上がったのではないかと思う。
例えばフォロンがイタリアのオリベッティ社の委嘱で制作し世界で展開された同社のタイプライターのポスターは、ジョブズがやろうとしていた機械を擬人化し温かみを加える試みを1960年代に行っていた先行事例だ。

ジャン=ミッシェル・フォロン 《Lettera 32 すべての人にオリベッティを》 1967年 フォロン財団蔵 ©Fondation Folon, ADAGP/PARIS, 2024-2025

それ以外にも2人は建築や工業デザインへの興味や自然主義、日本好きといった価値観を共有している。効率化や工業化の波に抗って人類がきちんと前進していくのを心のどこかで望むカウンターカルチャー的な姿勢を持つ点でも似ていると感じた。それだけに初代Macの完成後も交友が続いたのではないかと感じた。

今の時代にこそ必要な「白いユーモア」

フォロンが実際に名刺に刷っていた「空想旅行エージェンシー」という肩書きから「空想旅行案内人」と名付けられた今回の展覧会では、そんなフォロンの作品の魅力をプロローグとエピローグを合わせた全5章構成で紹介している。

「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」展示風景 プロローグ 旅のはじまり
フォロンの名刺

プロローグはリトル・ハット・マンやメガネなどフォロンがよく扱ったモチーフの紹介やアニメーション、ドローイング、彫刻など多彩な表現方法を俯瞰して紹介。
その後の4章は鑑賞者が能動的に作品と対話してくれることを期待して「?」を伴う疑問形のタイトルがついている。
第1章の「あっち・こっち・どっち?」は旅人を迷わすたくさんありすぎる矢印やまるで迷路のような都市など人生という旅における迷いをテーマにした作品が、第2章の「なにが聴こえる?」では、環境破壊や戦争、発明や宇宙開拓など人々の営みを冷静に見つめる作品が並ぶ。第3章の「なにを話そう?」では雑誌の表紙やポスター、オリベッティやアップルからの依頼を含むコミッションワーク、アムネスティインターナショナル「世界人権宣言」の本の挿絵などフォロンの表現の幅広さを紹介する展示となっており、最後のエピローグ「つぎはどこへ行こう?」では、ここまでの4章に収まりきらなかったフォロンの表現方法や日本などとの関わりを紹介している。

「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」展示風景 エピローグ つぎはどこへ行こう?

これから世の中はAIやバイオ技術などの先端テクノロジーや気候変動、紛争などを通して、これまで以上に大きな変化に見舞われてくる。そんな中、これからの世界をディストピアにせずに希望を持ち続ける上ではフォロンの「白いユーモア」の世界を観察し受け入れ、それでもポジティブに変えていく力が重要だと思う。

筆者の林信行さん。「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」展示会場にて

空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン

会期|2024年7月13日(土) – 9月23日(月・振)
会場|東京ステーションギャラリー
開館時間|10:00 – 18:00[金曜日は10:00 – 20:00]入館は閉館の30分前まで
休館日|月曜日[ただし9/16, 23は開館]
お問い合わせ|03-3212-2485  

 

■巡回
名古屋市美術館 2025年1月11日(土) – 3月23日(日)
あべのハルカス美術館(大阪) 2025年4月5日(土) – 6月22日(日)

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