これほどキュビスムを追求した展覧会って無かった。伝統的な絵画と新しい絵画を分けるのは印象派? キュビスム? そんなことを考えてしまう。特にアーティストによって、キュビスムへの想いは様々なようだ。
自身、コラージュ作品を多く手がけ、また制作にあたっては音楽にインスパイアされることをしばしば語っているアーティストの伊藤桂司が京都市京セラ美術館に見にいって語ってくれた「僕と音楽とキュビスム」。
聞き手・文 = 松原麻理
——伊藤さんはグラフィックデザインのお仕事やご自身の作品などにコラージュの技法をよく使われています。キュビスムを語るとき、コラージュも一つの特徴ではないかと思うのですが、伊藤さんからご覧になっていかがでしたか?
キュビスムの始まりはジョルジュ・ブラックとパブロ・ピカソだと言われています。二人は切磋琢磨しながらほとんど同じようなモチーフ(ギターやヴァイオリンなど)を描き、次の時代の絵画を模索していたわけですが、突き詰めすぎて袋小路に入ってしまいます。そこから抜け出すために、ブラックは市販の安い壁紙を切ってキャンバスに貼ったり、ピカソは新聞の断片を貼り付けたりして、主観と深く結びついていたはずの絵画に、ある種の客観性を取り入れるようになった。さらにロープや木片や砂など多様な素材を貼るようにもなる。それが「パピエ・コレ(切り貼り)」と呼ばれるコラージュの原型です。もしかすると、市井の人々は日記帳に自分の娘の写真を切り抜いて貼り付けたり、街で拾ったチラシや綺麗な包装紙の切れ端などを貼って楽しんでいたかもしれません。でもそういった行為が画家の作品として美術史上に登場したのはこれが最初だったと。
19世紀前半に写真技術の登場で絵画の役割が揺るがされ、写実である必要がなくなった絵画の世界に印象派が生まれ、さてその次どうするか、という時ですよね。セザンヌの描写方法やモチーフに対する独特の解釈をブラックが追求し、ピカソがそれに着目し、求道的な研究を始める。そしてキュビスムが生まれたというわけです。
——「キュビスム展」で気になった作品はありましたか?
ピカソの《肘掛け椅子に座る女性》を見た時、その質感や画面の緊張感から、突然80年代初頭にブライアン・イーノとデイヴィッド・バーンが出したアルバム『My Life In the Bush of Ghosts』のことを思い出したんです。このアルバムはまだサンプリングマシーンなどがない時代に、テープを文字通り切り貼りして作られた革新的なレコードでした。ベーシックなリズムトラックの上に、宣教師の声や街頭演説、テレビのニュースなど様々なソースをコラージュ的に被せて、クールなグルーヴを生みだしているんです。このように解体した断片を再構築する方法がこの絵にも表れているなぁと感じました。
あと、ブラックの《果物皿とトランプ》という油彩作品(下写真右)は、もともとベースとなるブラック自身のパピエ・コレ作品《果物皿とグラス》(本展には出品されておりません)がありました。木目模様がプリントされた壁紙を帯状に切って貼ってあるのですが、これは世界初のパピエ・コレ作品と言われています。これをあらためて油彩で描いたのが《果物皿とトランプ》なんです。絵の具を櫛ベラで引っ掻いて木目模様を再現しています。
僕も同じような技法を使うことがあるので、興味深く感じました。たとえば2022年に東京・日本橋馬喰町のギャラリー〈PARCEL〉で個展をしたときの100号の絵画作品は、いろいろな要素を写真に撮り、それをデジタルでコラージュしたものをまず制作して、それを拡大しトレースして着彩しています。だからブラックのやり方に親近感を覚えました。
また、《帽子の婦人》というタイトルはついているけれど、もはやグラフィックデザインのようになっているゴンチャローワの作品(下写真左)は面白いですね。ロシア構成主義や、アール・デコの雰囲気もすでに入っていますよね。
あと、クプカの《挨拶》という絵も未来派っぽい(下写真右)。お辞儀する人の動きをスローモーションで1カットずつおさえたのを繋げたような描き方がユニークです。展覧会場でこの絵の前で同じようにお辞儀をしているおばさまがいて、面白かった(笑)。これって、赤塚不二夫がハタ坊が早く走るときに足を高速回転のように描くのと同じですよね。
そして今回の展覧会の目玉は、やはりドローネーの《パリ市》でしょう。濃密な構成の会場を歩いているといきなりこの幅4メートル超の大画面が現れる、その展示の動線が上手いなと思いました。これは「コラージュを絵にした作品」と言われるように、エッフェル塔やセーヌ川の船や、三美神などパリの魅力的な要素のほか、セザンヌ、ルソー、ピカソへのオマージュと思われる引用もあるので、キュビスムの集大成的なオーラを放つ作品といえるでしょう。ピカソやブラックが暗褐色でまとめたのに対して、この絵は色彩が本当に綺麗です。
——そもそも伊藤さんがコラージュ作品を作るようになったのは、どんなきっかけからですか?
もともとマックス・エルンスト[1891-1976]やクルト・シュヴィッタース[1887-1948]に興味があったんですが、彼らのコラージュ作品はアカデミックで高尚なイメージだったので、ちょっと距離を感じていました。ところが学生時代の友人が、自分の旅行写真をコピーして切り抜いたものや、ガムの包み紙などでコラージュ作品を作っているのを見て、びっくりしました。日常的な断片で構成されていることに感動したんです。それ以降、僕もはまってしまって、『シアーズ・ローバック・カタログ』(アメリカの大手デパートの通販カタログ)の古本などを買い漁って材料にし、コラージュ作品を作るようになりました。
今回、「キュビスム展」を見て感じたのは、いろいろな画家たちが実験を真摯に重ねた探究の痕跡を楽しめるということ。一つの絵の中に複数の視点が存在したり、対象物を幾何学的に分析したり、異質な素材が画面の中で出会い印刷物の活字さえもが紛れ込んだりしている。このミクスチャー感覚は、僕が好きな音楽に非常に似ていると思いました。デヴィッド・ボウイやジョン・レノンは切り取った新聞やサーカスのポスターの文字要素も繋ぎ合わせてカットアップ的に歌詞を作っていますしね。
他の例を挙げると、西ドイツで60年代末に結成されたバンド「カン」のメンバーだったホルガー・シューカイ[1938-2017]は、短波ラジオの音をライブ中に即興で鳴らして、生の演奏と重ね合わせるという、実験的な試みをしていたんです。僕は音楽が好きだから、どうしてもそういう視点で見てしまいますが、キュビスムにも同様の魅力があると思いました。
あらためて言うまでもなく、キュビスムは美術史的にかなり重要で、絵画に対する考え方、アウトプットの仕方を根底から変えました。描く対象物を複数の視点によって分解し、その断片を単純化し構成し直すという全く新しい考え方や、その過程で生まれたパピエ・コレやコラージュという技法。それがのちにダダイズムやシュルレアリスムへと繋がっていき、その後の世代のアーティストたちを目覚めさせ、刺激を与えた、計り知れない魅力を持った美術運動だったのだと思います。
会期|2024年3月20日(月・祝) – 7月7日(日)
会場|京都市京セラ美術館 本館 北回廊1階・本館 南回廊1階
開館時間|10:00 -18:00[入場は閉館の30分前まで]
休館日|月曜日
お問い合わせ|075-771-4334(京都市京セラ美術館)
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