当代一の画力を誇るのに、描くのは馬の脚部分がバイクになってる時間ごちゃ混ぜの厩図だったり。そんな人気画家、山口晃ガハクは夫婦揃って食いしん坊。日常で、旅で、制作中の日々で、散歩の途中で何を食べてるの? ガハクが日常を描くコミックエッセイ『すゞしろ日記』に「カミさん」として登場するガハク妻による食事帖。制作の締切が間に合わず、カンヅメで描くハメになった日々の食事は?🅼
絵/山口晃
第1日:暗雲たちこめる
ずっしりと重い暑さの8月上旬、私は珍しく夏バテのようで、このところ食欲がずいぶん落ちていた。サラダ一皿をお昼と夜に分けてやっと食べ終えるような状態だった。
山口ヒゲ画伯こと夫が(以下ガハク)一足先に長野へ発ったので、その間一人で楽しく素敵な晩酌をもくろんでいたのに、お酒も一滴も飲む気になれない。
こっそり準備していた生ハムも行き場がなく冷蔵庫で待機している。
羽を伸ばそうとした矢先に急に不調になったのは、制作で必死になっているガハクから何らかの念波が発せられていたからなのか。
そして今日、私も長野へ向かう。ガハクは某ZK寺へ納める大作の加筆作業中であり、私の使命はお昼と夜のごはんの手配だった。
それだけのために・・・?
と思われるだろうが、制作中のアーティストは描くことに集中し、その他の事項、今日はどこで何を食べようかなどと考える脳みその余力はもうなくなってしまう。
さらにはただ空腹を満たすだけの食事を用意するだけでは不十分で、それなりのものを見繕う必要がある。
ガハクは食べるものにまぁまぁうるさく、気にしない、と口先では言っているけれど、おいしくないものに遭遇すると相当に気落ちしてしまうのだった。
制作意欲をキープしていただくためにも、失敗は許されないのである。
当時、感染症拡大が日々記録更新中につき、私たちは自らに外食不可のルールを課していた。
したがって、お昼も夜もこれからの5日間、出来合いの食べ物で過ごさなければならない。(ちなみに朝食はホテルブッフェ)
昼も夜もお弁当、で本当にお互い耐えられるのだろうか・・・緊張しながら新幹線に乗り込んだ。
長野の暑さは東京ほどの凶暴性はないものの、歩き回るにはまだつらい。まずは駅と善光寺の間に位置するJCホテルに荷物を下ろし、手短にホテル向かいにあるスーパーマーケットT食品館へ行ってみる。
すでに13:00を過ぎていて、お弁当類はほとんど残っていなかった。
それよりもこの時間にはもうガハクは相当お腹をすかせていることだろう。
ガハク一人で過ごしていた今日までの2日間、昼は事務所が利用するという手軽な仕出し店のお弁当を食べていたそうだ。
電話にて、日替わり献立の内容 ―
唐揚げ、エビカツ、中華風春雨サラダ、カラフルソテー
・・・だの、楽しげな品名を読み上げてくれたが、食しての感想は薄暗い雲が広がったかのように急に声のトーンが寂しそうになり、給食のようで味気ない、とつぶやいていたので私(というより食べ物)が来るのをさぞかし待ちわびているに違いない。
急いで食料を調達し、タクシーに飛び乗る。
そんなときに限ってタクシーに遠回りをされたうえ見当違いなところで降ろされ苛立たされつつも、無事作業場所のZK寺事務所の会議室にたどり着き、第1回目の食事を届けた。
1日目お昼:
・信州ACE弁当
・1/3日分野菜がとれる30品目サラダ
私は食欲が戻らず付属のパン屋で
・くるみパンミックスサンド
・たらことポテトのクロックムッシュ ←十分食欲が戻っているような?
久しぶりに再会し、ご飯を持ってきたということで、歓迎してもらったが、お弁当を受け取るなり「ああ、これね・・・」という言葉がガハクから発せられた。
品名からも察せられるかと思われるが、お手頃価格のスーパーのお弁当は例えていうならば愛情より栄養計算で出来上がる病院食のよう。
昨日までの仕出し弁当とあまり変わりはなさそうだ。
でも食べ物には罪はない。二人で黙々とありがたく完食したけれど、これが今後昼夜続くのだろうか・・・と想像すると不安しかない。
和食屋の提供するお弁当でもあればよいのだが、すでに世の中のテイクアウトブームは去ってしまっている。
ということで、今夜はガハクがすでに2日連続でトライしていたホテルの中華レストラン提供のお弁当を頼むことにする。
選べる1品(麻婆豆腐、青椒肉絲、エビチリ)、ご飯、ザーサイ、ペットボトルの烏龍茶付きというごくシンプルな内容で、ガハクによると量的にはまったく足りないのとのこと。
一足先にホテルへ戻り仮眠をして体調を整えた後、お惣菜を確保しなければ、とふらふら歩いて駅ビルに夕方の買い出しにでた。
1日目夜:
・ホテルの中華弁当 麻婆豆腐と青椒肉絲
それに併せて中華惣菜
・菜の花とエビの炒め
・きくらげと卵の炒め
・善光寺浪漫ビール・りんどう・アルトタイプ(善光寺が作っているわけではない)
ガハクがまだ食べてなかったという麻婆豆腐と昨日食べたけど悪くなかったという青椒肉絲というチョイス。
辛いものが苦手なガハクを慮って、麻婆豆腐を辛さ控えめでオーダーしておいたところ、「辛いほうがよかった」と不服げだ。
苦手ではあるけれどやはり辛いほうがおいしいのでそちらを食べたい、というのがここ最近の傾向で、用意する方としては面倒なことだ・・・。
ガハクは辛いもの全般を不得手としていて、二人での外食時にタイ料理レストランはほぼ選択肢になく、インド料理屋に至ってはたぶん一緒に行ったことがない。
家でレトルトカレーの簡素な昼食をとるときも、私がグリーンカレーを食す横でガハクは日本のカレーを口にしていた。それでも興味はあるらしく、必ず一口ちょうだい、と試しみては
「おいしい・・・けど・・・・辛い・・・!」
と陸に揚げられた魚のように苦しそうにもがくのが常だった。
ガハク曰く冷たい水でも温かいお茶でも飲むと辛さが倍増されるとのことで、水分で口の中を緩和させることもできずひたすら治まるのを待つのみ。
スパイスのおいしさは理解できるけれどもどうしても身体の方はついてこられないようだ。
少しずつ試してきた成果か近頃ガハクはスパイシーにも慣れてきたようで、タイカレーやキムチなどかなり食べられるようになっていた。
とりわけこのところよく見かける花椒を使用した黒い麻婆豆腐は「好き」の部類に浮上してきていた。
「ごめんね。わざわざ電話で聞くのも悪いと思って今日は辛くない方にしちゃった。
ところで最近辛いものも結構大丈夫みたいだけど、味が分かってきたということなのかな」
「うーん。年をとって鈍くなったのかも」
いずれにせよ刺激物はほどほどの摂取にしておこう・・・・。
ホテル中華の麻婆豆腐は赤いタイプで、味も想定内で不可もなく、だった。
駅ビルで買った惣菜は手作り感のある自然な風味で、思いの外おいしくいただけた。
アルトタイプの地ビールは透明感のある濃いオレンジ色が見た目にもきれいで、やや重みのある味わいがありなかなかに気に入る。
けれども、狭いホテル部屋の小さなテーブルに、いくつものプラスチック容器がぎっちりと並んでいるのは思い出すだけでさみしい映像だ。
唯一、グラスに注がれたビールだけは平然とビールとして存在していた。
そのおかげで、そうはいってもいつも通りの夕ご飯の時間なのだ、となんとか思い直すことができたのだった。
●山口晃さんってどんな画家?
1969年東京都生まれ、群馬県桐生市に育つ。
1996年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。
日本の伝統的絵画の様式を踏まえ、油絵で描く作風が特徴。都市鳥瞰図・合戦図などの絵画のみならず立体、漫画、インスタレーションなど表現方法は多岐にわたる。
1997年「こたつ派」(ミヅマアートギャラリー、東京)にて注目を集める。主な個展に、2013年「山口晃展 画業ほぽ総覧ーお絵描きから現在まで」(群馬県立館林美術館)、2015年「山口晃展 前に下がる下を仰ぐ」(水戸芸術館現代美術ギャラリー、茨城)、2018 年「Resonating Surfaces」(大和日英基金ジャパンハウスギャラリー、ロンドン、イギリス)、2021年「山口晃 -ちこちこ小間ごと-」(ZENBI-鍵善良房-KAGIZEN ART MUSEUM、京都)などがあり、主なグループ展に、2010年第17回シドニービエンナーレ「THE BEAUTY OF DISTANCE: Songs of Survival in a Precarious Age」(オーストラリア)、2021年「Manga – Reading the Flow」(リートベルク美術館、チューリッヒ、スイス)など。主な受賞歴に、2001年「第4回岡本太郎記念現代芸術大賞」優秀賞、2013年『ヘンな日本美術史』(祥伝社)で第12回小林秀雄賞。
また、2019年 NHK大河ドラマ「いだてん 〜東京オリムピック噺〜」のオープニングタイトルバック画や「東京2020パラリンピック公式アートポスター」を制作し、2022年善光寺(長野)へ《善光寺御開帳遠景圖》を奉納する。
2023年9月アーティゾン美術館にて個展開催予定。
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