山農 京和 [ Kyunghwa Chang ]さん  (『旅籠やまの』オーナー)

着るもの、住むところ、食べるもの、人が生きるためのもの全てがアートだと思います。
自分にできることをする、それが誰かの人生の、とあるページの1行になることができたら、こんなに嬉しいことはありません。

山農 京和   大学を卒業後、日系企業のソウル支店に新卒入社。その後東京本社勤務を経て、韓国系企業日本支社へ転職。この企業で23年間、様々な部署で多種業務を経験。2017年に京都に移住し「旅籠やまの」を開業。現在は、宿を経営しながら企業や官公庁の国際イベントなどにも従事している。

誰かの助けのために、自分にできることをやる


日本に来た頃に少し驚いたのは、私がボランティア活動に参加していることについて「えらいね」と言われることでした。私の生まれた韓国では、「困っている人のお手伝いをする」ことはごく普通のことであって、それが「お互いに協力して生きていく」ことだという教育を受けていました。ただし、あくまでも無理をしないこと、何でもかんでもではなく自分にできることをやる、という考え方でもありました。

その当時、日本ではまだボランティアという行為自体、あまり身近なものではなかったのかもしれないですね。昨今では災害の時などには若い人たちなども率先して活動している例もよく紹介されていますが、ボランティアをすること自体が「日常のこと」といえるまでにはまだもう少し、というような気がします。他の人がやっていないことを自分から率先してやることは、日本人のメンタル的に少し憚られるということもあるのかなと思ったりもします。

会社勤務時代に参加していた主なボランティア活動は、同じ区にある企業同士が地域貢献の一環として行っていたプロジェクトや、盲導犬支援、障害を持つ子ども向けのプロジェクトなどでした。その他、ラオスの子どもたちに中学校で学ぶ機会を与えたいと考え、ボランティア仲間たちと一緒に飲食店を運営して、彼らの中学校通学のための資金を貯めて贈ったり、地域の子どもたちに本物の音楽体験などをしてもらおうと、日本舞踊やアフリカの伝統楽器の演奏とのコラボイベントを行ったりもしましたね。





京都で宿を始めよう


宿を始めたきっかけの一つは、義理の両親と九州へ家族旅行に出かけた時の体験です。その宿を予約する際に「母は膝を悪くしているので、一階のお部屋でお願いします」と依頼したのですが、実際に到着すると二階の部屋だったんです。しかもエレベーターがないので、階段で上がるしかない。結局、移動のたびに主人が義母をおんぶして階段を昇り降りすることになりました。その時に、ハンデキャップを持つ人にも普通に楽しめるような優しい宿があったらいいのにな、と思ったんですよね。でも実際にはそんな宿はなかなかない、だったら私がやろうかな、と。

誰でも年齢を重ねると、いろいろな制約が出てきてしまうものですよね。足の具合が悪いとか、食事の制限があったりとか、トイレが近いとか。その結果、旅行には行きたいけれど実際に行くのは面倒だなとなってしまう。実際に私の場合も、義母は何かあるたびに息子におんぶしてもらうことになり、気を遣ってしまったのだとも思います。

欧米では、車椅子に乗ってどこにでも旅行するという人が多数います。そして彼らは旅先で生き生きとしています。旅行というのは元気の源になるのでしょう。だから私は日本でも、そんな人たちも含めてみんなが元気に楽しく旅行ができるためのお手伝いをしたいと思ったんです。これまでボランティアとしてやってきたことと方向性は一緒です。私にできることってなんだろう、そんなことを思いながら宿の準備を始めました。

宿の準備で私が特にこだわったのは、家族が集まって過ごせる居間があること、自分たちで食事を準備するためのキッチンがあること、そして自然や季節を感じさせる庭があり静かな場所であることでした。自分もそういう場所が好きだったこともあります。結果的に、主人が京都出身だったこともあり、京都であればお客様は歴史や文化を含めてさまざまな経験ができると思い、場所はここ、京都の嵐山に決めました。





宿を始めて思うこと


宿を始めて8年になりますが、宿は仕事というよりも、良い意味で “自分の生活を充実させるためのツール” という位置付けになっています。お客さまと一緒に、穏やかに過ごしたり、喜んでもらったり。心から、始めてよかったな、と。

私の宿のモットーは「お客さまが求めていることは、すべてやる」というものです。他の民泊オーナーの方と同様に、食事の予約や旅行プランの相談、時には一緒に食事するといったことももちろんやりますが、私オリジナルの “おもてなし” として取り組み、喜んでいただいているのは、日本の風習を体験してもらうこと、です。

お正月は正月飾りとおせち料理をみんなで作って、一緒に食事をします。また節分の時期に滞在されているお客さまとは、節分がどんな風習なのかを説明しながら、恵方巻きを一緒に作ってかぶりつき、鬼(主人です!)に向かって豆まきをします(笑)。夏に滞在されるお客さまとは、渓谷に水遊びに行ったり、五山の送り火を見に出かけます。それ以外にも、宿でちょっとしたお茶会を体験をしてもらったり、日本酒の蔵元へご案内して造り方を学んでもらったり。私自身も今度はどんなことをして楽しんでもらおうか、とワクワクするばかりです。

もちろん宿自体、くつろげる空間つくりを意識しています。宿は古民家でたいへん古いのですが、建築に興味があるお客さまがいらっしゃれば、日本建築の説明などもして差し上げています。また滞在期間中に日本の四季を感じて楽しんでもらえるよう、季節のお花や掛け軸を飾るようにして、寝具にも気を使っていますね。そうそう、庭にはタバコを吸える喫煙所も用意しています。最近ではどこに行っても禁煙の場所が多いのですが、喫煙も個性ですから。

自分で恵方巻きを作る
神妙な表情で恵方巻きにかぶりつき
鬼!
ONIWA〜SOTO!






地域の方々に助けられて


私にとって、とても思い出深いお客さまがいらっしゃいます。ベネズエラの「ララ・ソモス(Lara Somos)」という視覚障害のある方を中心としたヴォーカル・グループが、京都での来日公演のため、日本でのサポートスタッフを入れて合計18名で宿に滞在されたのです。

東京での会社勤務時代に「エル・システマ(※)」から依頼され、当時、メンバーのホームスティを受け入れていたことがあったのがもともとの縁だったのですが、この時は駐日ベネズエラ大使から直々に、どうにかメンバーの滞在を受け入れてくれないかと頼まれ、宿の定員(8名)の倍以上の人数ですし悩みましたが、受け入れることにしたのです。

ただ宿は提供できるけれど、それ以外のことは、地域の皆さまや友人にお願いして協力してもらうしかない。楽団の移動には、地元のバス会社の友人にお願いし、4日間無償で大型バスを提供をしていただきました。また朝食は、主人の親戚のパン屋さんから毎日100個を超えるパンの提供を。夕食は、近所にある馴染みの居酒屋さんにお願いして安価なコースを作ってもらって、と…。助けていただいた皆さまには本当に頭が上がりません。

そして何より、宿の周辺に暮らす方々に、通常より少なからず騒がしくなってしまうことを事前にお知らせし、了承をいただきました。けれどこれが本当に甘かった(笑)! 楽団メンバーは本当に音楽が大好きで、どこにいくにも楽器と共に出かけて、いたるところで「水の音が聞こえて気持ちがいいから歌いましょう!」「美味しい食事で楽しいから歌いましょう!」となるのです。朝、嵐山の竹林へ散歩に出掛けても、そして夜は居酒屋でも歌い始める。こちらとしてはヒヤヒヤしましたが、周囲の皆さんからは不思議と「無料でいいもの聞かせてもらっているよ」なんて言ってもらうことができました。ありがたいことです。

この時は本当にたいへんだったのですが、いまこうして話をしていたら楽しい思い出ばかりなんだな、と思いました。これまで培ってきた人と人との繋がりがあってこそ、こういった大きなことができるんだ、と感じた出来事です。


(※)世界の70以上の国や地域で展開されている音楽教育システム。音楽経験や経済環境に関わらず、子どもたちが無償でオーケストラやコーラスに参加することで、音楽を通じて集団としての協調性や社会性を育み、社会との関りをつくり、生きる力を身につけることを目指している。  → 一般社団法人エル・システマジャパン

ベネズエラのヴォーカル・グループ「ララ・ソモス(Lara Somos)」の皆さんと大型バスの前で

夜は宿でも当然!歌います



お客さまとの縁で生まれる人生の豊かさ


『旅籠やまの』は、長期滞在型で家族や友達といった比較的大人数のグループでいらっしゃるお客さまが多いです。ありがたいことに一年先まで予約で埋まっていることも多いので、リピートでの利用は難しいとはよく言われるのですが、京都に来られた時に宿泊予約していないのに顔出してくださるお客さまもいらっしゃいます。そして実は、彼らのお家(海外)にお招き下さったりもするんです。

今年5月には、昨年京都に滞在された、ワイナリー経営をされているフランスのお客さまのところに遊びに行ってきました。とても小さな村で、隣のワイナリーの方たちも集まってくださり、ガーデンパーティを開いてくれたのです。そこで私たちも日本料理を食べていただきたいと思い、お好み焼きとお蕎麦を作って提供させてもらいました。来年はカナダのお客さまに声をかけて頂いているので、ぜひ訪問させてもらおうと思っています。なんだかこの勢いであちこち訪ねていたら、それだけで身体がたいへんなことになりそうです(笑)。





生活そのものがアート


私が考えるアートとは、着るもの、住むところ、食べるものといった生きることに関する活動すべてなんです。そして、それは旅にも例えられるのではないかと思っています。

私の宿に来ていただくお客さまを見ていると、それぞれ他の人とはまったく異なる、自分らしい旅をしています。誰とも同じではない自分の人生を、いかに楽しくするのかを日々追求している姿を見ていると、とても創造力に溢れている人たちだな、と感心するばかりです。自分の人生をどう色づけていくのか、人ぞれぞれの色があるということを、お客さまである彼らから気づかせてもらえるってとても嬉しいことです。

そんなお客さまとの時間を重ねていると、ふと今の日本の若い世代の子たちと話す時に、どうもこのベクトルが逆方向を向いているのかな、と感じることがあります。やりたいことはある、頭ではわかっている。けれども始める勇気がない。もちろん彼らだけの責任だけではなく、やりたいことをやらせてもらえない環境で育ってきてしまったこともあるのでしょうね。

だからこそ私はあえて、次の世代を築いていく若い彼らに、機会あるたびに伝えたいと思っています。一歩を踏み出す勇気を持つことと、みんなと同じであることばかりを求めないでね、と。何が正解かを探すのではなくて、自分の頭で考えて、自分の感性で想像してみてほしいな、と。インターネットでググって出てくる答えは、自分にとっての本当の正解じゃないかもしれないからです。誰かに与えられるものではない、自分だけの人生を歩んでほしいと私は切に願っています。




『旅館やまの』にて、ご主人と

『旅籠やまの』
京都府京都市西京区嵐山上海道町36番地
※阪急嵐山駅まで徒歩3分
※ゲスト定員8名様

詳細情報・予約・問い合わせは→こちら



インタビューを終えて…


常に多くの人たちとコミュニケーションをとっている印象が強い山農さん。どのような状況でも相手の話をしっかり聞いて、相手との距離を縮めることが得意な上に、その関係性を長く継続している姿は、心底見習いたいと思いました。ご本人が今回のインタビューでふとお話してくださった「お客さまの旅の1ページの中のたった1行かもしれないけど、その1行になれることが嬉しい」という言葉が、とても彼女らしいなあと思うと同時に、「誰かのために何かをしたい」とずっと行動し続けてきた彼女だからこその説得力を感じて、印象的なものでした。みんなと同じじゃなく、自分オリジナルの人生を創造していくことに価値があるという言葉は、若い方だけではなくどの世代の方にも伝わるメッセージだったのではないでしょうか。【M】




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