鎌矢 由香さん(ユニバーサル・ペーパー株式会社 マーケティング部シニアマネージャー)
書道の世界に再び足を踏み入れて感じたのは、「これが好き」といえる自由でした。その感覚が、それまでどこか凝り固まっていた私を解放してくれたと思います。

鎌矢 由香 外資系消費財メーカーで人事部の経験を経てマーケティングへ転身というユニークなキャリアをもつ。約20年に渡り、ベビーケア、ペットフード、ホームケア、パーソナルケア等幅広いカテゴリーにおけるブランディング・製品開発、広告、リサーチなどマーケティング全般を担当。現在、APPグループカンパニーのユニバーサル・ペーパー(株)シニアマネージャー。日本におけるマーケティングヘッドとして及びマーケティング及びトレードマーケティングを統括。
落ち着きがないと言われていた幼少時代に始めた書道
書道教室に通い始めたのは、私が小学1年生の時でした。きっかけは二つで、まず私が左利きだったこと。今でこそ、左利きというと天才肌みたいなことを言われますが、当時は、社会的にも不自由になることが多いから直さなければいけないと、両親が強く感じていたこともあって通わせたと聞いています。
もう一つは、私がものすごく落ち着きのない子どもだったということです。立ったり座ったり、何せ動き回っていたんですって。社会人になってからの私を知る人にはよく驚かれるのですが、当時はほんとうに自由奔放な気質を持った子だったらしく、自分が何かに興味を持ったらすぐにそれに向かって動き出してしまう。そんな私を懸念しての習い事の選択だったそうです。この教室には小学5年生になるまで通いました。
両親としては、正しく美しい文字を書くことで、落ち着きや礼儀作法が身につくと信じていたのでしょう。つまり私の書道との出会いは、自己表現というよりは、一般的に求められる社会でのあり方に同調する為の躾の一環だったのです。そして意外にも私は、書道という「習い事」にはまっていきました。文字を正しい形に整えることによって褒めてもらえたというのは、嬉しい体験だったのかもしれませんね。「正しく」「上手に」「はみ出さない」自分でいれば、誰からも責められず、傷つかずにすむ。子どもながらに上手く生きていくための知恵だったのでしょう。書道を続けるうちに、無意識に元来の自由奔放な表現を抑え、「いい子」でいることが生きやすいと信じ、自分の性格すら作り変えてしまったともいえます。
書道?習字?
先ほどお話ししたように書道教室は小学5年生で辞めたのですが、、40代を迎える頃に改めてまた始めることにしまた。当時、外資系企業のブランドマネージャーとして働いていて、本当に忙しくて仕事100%のような毎日を過ごしていたのです。毎日遅くまで仕事ばかりで、誰かと会うといえば同じ会社の人ばかり。そんなある日、これではいけない…と思い、職場ではない別の「場所」を持ちたい!と、偶然インターネット検索で見つけた今のスクールに通い始めました。
通い初めてすぐ先生に言われたことは、「鎌矢さん、あなた自身の表現はなんですか?」でした。「上手に書く」ではなくて「あなたの表現はなんですか」とずっと問いかけられるのです。正直驚きました。書道を再開したのは、仕事じゃない別の場所を見つけたいと思っていたこと、加えて「大人なんだから綺麗な文字を書きたい」と思ってのことで、そこに自分表現したいとかの意識はなかったんですよね。つまり思えば、子ども時代の書との向き合い方のままだったのかもしれません。
とはいうものの、先生から指摘された「あなたの表現は何か」という言葉がずっと引っかかってくるし、何度も問いかけられる。私はすごく悩みました。字を上手にかけるようになることをイメージして通い始めたのだけれど、幾度となく先生に言われるうちに結果として、「人のものを真似て書くものは大人の書道ではない」と考えるようになり始めたのです。 その頃、自分なりに完成させた作品を先生にお見せしても、「上手く書こうなんて思っている限り、あなたの考えが変わらない限り、あなたの字にはなりませんよ」とよく言われました。「誰かの作品をコピー(模写)し続けているのでは、自分の作品ではない」ってことなのでしょうね。そんな先生との対話を繰り返していく中で、書道って自分自身の表現であるってことなんだとようやく気づいた、いや実感するに至りました。同時に、私が子ども時代に学んでいたのは、書道ではなくて”習字”だったのだ、と。実はそこに辿り着くまでに3年ほどかかったかな。うまく言えないのですが、書道って自己表現だったんですね。

表現することは相手を知ること
この気づきは、仕事にも影響を与え始めました。書道を再開する前の私は、「マーケターは立場上、様々な領域すべてにおいて自分がプロとして責務を負わなければいけない」と思い込んでいたんだと思います。「正解はこれだから」と、データとかこれまでの知見とかを関連部署やメンバーに断定的に強く提示しながら仕事を推し進めていました。
けれど、ふとある時、書道スクールで他者の意見を聞いているように、他部署の側、例えば営業サイドからの意見を徹底的に聞いてみようかなって思ったんです。その結果感じたのは、「私はこう思っていたけれど、あなたはこう思っていたんだね」という実にシンプルな気づきでした。考え方、捉え方は一本の道だけではなくて、あちこちさまざまなルートがある。私たちマーケ担当としては、販売効率とかスピード感を第一に考えての『正解』を導いている。でも他から見たら全く違うルートであるけれど、もしかしたら一見遠回りなルートかもしれない。そして肝心のお客さまにとってみれば、ゴールへのアプローチはどちらでも同じだということ。そんな些細なことにも気づけたのです。そしてそれを受け入れられるようになりました。『正解』ってひとつじゃないんだなって。
誤解をされたくないのですが、私はこれまで関連部署やメンバーの言葉を決して軽んじていたわけではありません。けれど、すべての人がアントレプレナーシップを持って仕事をしていくことってすごく重要で、この道だけが正しいという規定路線で動いていたら、誰もついてこないってこともあるんですよね。私はその点でいうと、後輩や部下に対しても、常に既定路線で話をしてしまっていたのかもしれない、そんな気づきがあったことも事実です。
当時の後輩や部下に、自分が経験してきた一番効率的だった『正解ルート』を提示して、「マーケターとしてはこれがいいんだよ」と教えてあげよう、そして育ててあげようとばかり思っていたのかもしれません。でもそんなことしなくても人は「育つ」んですよね。むしろ彼ら自身の思いというか考え方をいかに引き出してあげるか、そんなことに注力していたらなんて、今では思っています。
※下の動画(音声あり)は、鎌矢さんの作品集。書道を始めた小学生の時から最近まで書きつづけている「希望」という字をまとめたもの。その時々の気持ちや自分が大切にしていることなどが表現されている。
外資系企業に身を置きながら
私は現在、インドネシア資本の会社に勤務しています。キャリアをスタートしてからずっと外資系企業で、周囲は日本人だけではない環境で働く私自身に、先ほどお伝えしたこと同様に「書道」が教えてくれたことがあります。
書道といえば中国というイメージがありますが、彼らの「書」に対する捉え方は、私たちに日本人とはまったく異なります。例えば、中国本土や台湾のメンバーと広告デザインなどについて話し合っていると、日本では推奨されている「余白」という概念が、彼らの中にはそもそもないことに気づきます。彼らは、余白があればそこを埋める、つまり絵(イラスト)や文字を追加したがるのです。日本人の美の認識との違いですね。真っ白い紙に、一滴だけ墨を落とす、それだけでいい、なんてことは日本ならではの感覚だと思います。それ故にパッケージデザインの検討の場面などでは大揉めすることがあります(笑)。
また数年前に、今通っている書道スクールの先生が、「左に描いてあるものを、そっくりにそのまま右に書いてください」というテーマで、バトンリレーのように人から人へと渡しながら同じ条件で描いていく実験的な作品を創作されたのです。半年ほどかけて、何人もが参加し創り上げると、出来上がってくる作品がびっくりするくらい最初のものから変化していくのはとても興味深いことでした。作品の見方や考え方、捉え方って人によって全く違っていて、「そっくり」って言葉の認識すらここまで違うのか、ってすごく学びになったんです。捉える人が違うとさまざまな考えがある、このことって仕事でのコミュニケーション、特に多種多様な国籍のスタッフが集まって仕事をする外資系企業での意思疎通の難しさと一緒ではないかって今は思っています。
私自身は昭和生まれの人間でもあるし、どちらかといえば「あるべき姿や正しい姿ってこれです」と学んできた世代です。故に、書道を始めた時にも「これが上手かどうか」、「この人の作品はいいものなの?」なんてことを軸にして、作品を判断してきたと思います。日本では書道をやっているというと「何段なの?」みたいなことを聞かれがちだし、それで評価されてしまいやすいものです。いわゆる評価指標ってことでしょうか。でも実際の書道の評価ってそれだけじゃないって思うんです、段位を否定する気はまったくありませんが、大人になって書に向き合ってみると、「自己表現」という言葉の方が重みがあるのではないかって私は思います。

鎌矢さんの作品
好きか、嫌いか
世間でも言われることですが、今の若きメンバーは『正解』を求めがちで、効率重視であることは理解します。けれど同時に思うのは、私たち大人が、そんな彼らが期待するいい大人、夢見てもらえるような大人ではなかったという責任もあるのではないでしょうか。だから私は一方的に彼らに直してもらいたいとは思いません。
仕事は全て楽しいことばかりではないけれど、思い切り楽しめるものでもあります。若い世代にはそう思えないかもしれないけれど、「あなたの仕事全体の5%にだけでも遊び心を埋め込んでみることによって、次の楽しみを倍増させることができるんだよ、そこに自分が大切にしたいこと、好きなことを埋め込みながら次に進むことができたら、もっとワクワクできるんだよ」って伝えたいと思って日々過ごしています。私自身、今は思いっきり5%いや、それ以上の仕事を楽しんでいますから(笑)。究極的に思うのは、事象に対して、「好きか嫌いか」を自分で判断できるくらいに「自分の考えを持つこと」、なのではないでしょうか。

インドネシア・南スマトラ島にあるユニバーサル・ペーパー株式会社の自社工場を視察。チームメンバーと共に
〜この工場では、敷地面積550ヘクタールの中に自社植林地をもち、そこで育てた木を原料にして紙製品を生産している
【鎌矢さんが通う書道スクール】
studio issai(スタジオイッサイ)
国内外で多数の受賞歴をもつ書家/アーティスト田中逸齋が東京・目黒にて主宰するアトリエ兼書道スクール。
書の基本を大切にしながらも「五感を響かせ、文字から色や音、景色を描き出す書」の世界へ指南。「整った文字」を書く練習だけでなく、筆の動きや余白、線の呼吸を通して、自分ならではの表現を見つけることを大切にしている。カフェスタイルのスタジオにて定員6名までの少人数制、個人のレベルや表現に合わせたセミカスタマイスドなレッスン形式。
● インタビューを終えて…
「書道」自体が、鎌矢さんの考え方を変えてしまったり、豊かにしてくれたりという媒介であったということに、とても興味を持ちました。最近の作品を拝見させていただくと、確かにとても自由な表現で、まるで絵画を見ているような、そんな気持ちにもなります。そして客観的にインタビューの中で紡ぎ出される言葉からも、「書道」を通して見つけた自分という存在を楽しんでいるのかも、とも感じました。記事ではお伝えすることができなかったのですが、今の会社で新しいチャレンジをチームメンバー(インドネシア、韓国、中国など)の方々と、対話しながら進めていく姿はとても美しいと思いました。鎌矢さんなりの「自由でいる自分」を再発見したのかもしれませんね。【M】