ゴッホ、セザンヌ、ムンク、モディリアーニ……偉大な画家たちの名作や身の回りの品を1枚のカンヴァスに集結させる。その絵をカレンダーに見立てることで、巨匠たちの偉業が次から次へと目の前に展開される。 彼らは何を描いてきたのか、どんな人生を送ったのか、美術史はどう紡がれてきたを描ききり、美術ファンを釘付けにする。そんな絵を描いている画家の桑久保徹が見たメトロポリタン美術館展。ここでは特にセザンヌの話をしてもらった。🅼
1895年、ルノワールとモネの助言に従った画商のヴォラールは、作品購入のためにセザンヌに会おうと試み、タンギー爺さんの店で彼を見つけることができた。セザンヌの息子であるポールJr.の仲介で、ヴォラールはアトリエにあった油彩画数点を購入して、パリにある自分の画廊で初めてのセザンヌの回顧展を開催し、150点もの作品を展示した。
この展覧会が起爆剤となった。友人の画家たちが皆駆けつけて、作品を買っていった。そしてピサロは手紙で息子にその当時の様子をこう伝えている。
「長いあいだ、感じ続けていた、風変わりで面食らうようなセザンヌの側面に感嘆していたところへ、ルノワールがやって来た。だが、私のそうした情熱も、ルノワールの熱狂ぶりの側では、サン=ジャン(編集部注:沈静と抗鬱の薬効がある植物)のようなものでしかなかった。ドガでさえ、この洗練された野生の魅力の影響を受けている。モネも皆 […] 私たちは間違っているのだろうか […] 私はそうは思わない […] セザンヌの魅力を感じない者は、その誤った判断で、自分たちにある感性が欠けていることを自ら暴露する芸術家や美術愛好家たちだけだ。そのうえ、彼らは、私たちが気づいている欠点を論理的に取り上げる。それは、一目でわかるものだが、同時に魅力でもあるのだ。 […] 彼らには、それが見えないのだ […] 」。
[国立新美術館「セザンヌ パリとプロヴァンス展」2012
フィリップ・セザンヌ(ポール・セザンヌのひ孫)の文章より抜粋]
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私には今、携帯電話のモニターが見えていて、その背後に列車に乗った人物と窓の風景がぼんやりと見えている。
私の目にはフォーカス機能が備わっているので、意識して見たものに焦点があたる。コップで水を飲むときには流し台はぼやけ、マラソンのゴールでは、もはやゴールテープしか見えていない。
長年の成果で、人間の眼はフォーカス機能をさらに進化させて、顔認証機能も備えた。何も考えなければ自動的に私の目は人を追いかけるようになった。私の目は勝手に人を追い、目標物に焦点が定まる。そしていつでも、全てが「地と図(背景とモノ)」に分かれている。
モネは、このフォーカス機能を取り払うことに成功した、もっともわかり易い画家だ。林檎を見るのではなくて、林檎に跳ね返った光を受け取った。鏡面のようになった受動的な目は、全ての光を等価で拾おうとする。もはや、林檎に当たった光とその下にある机に当たった光の意味に差はない。友人達の中で、最も批評眼を持っていたセザンヌは、印象派ではモネを最も高く評価している。
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会期|開催中 – 2022年5月30日(月)
会場|国立新美術館 企画展示室1E
開館時間|10:00 – 18:00 [毎週金・土曜日は20:00まで 入場は閉館の30分前まで]
休館日|火曜日[ただし、5月3日(火・祝)は開館]
お問い合わせ|050-5541-8600 [ハローダイヤル]
■会期等、今後の諸事情により変更される場合があります。展覧会ホームページでご確認ください。
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