岡田 友嗣さん(ソーホーハウス東京 ゼネラルマネージャー)
「完璧なマニュアルのその先にある『グレーの領域』にこそ、人の心を動かす本質がある。だから、仕事の5%に遊び心を埋め込んで、思い切り楽しむのです」
岡田 友嗣(Yuji Okada) 英国でホスピタリティマネジメントを学んだ後、フォーシーズンズ、ザ・ペニンシュラ、ザ・リッツ・カールトンなどのラグジュアリーホテルやトランジットジェネラルオフィス等で実績を重ねる。2018年より「ハレクラニ沖縄」の料飲部長として開業と運営を牽引、2023年より「ジャヌ東京」のホテルマネージャーとして開業に携わる。現在はロンドン発の会員制クラブ「ソーホーハウス東京」のGMとして、国内外の豊富な現場・マネジメント経験を生かし、クリエイターや多角的な分野で活躍する人々が集いインスピレーションを得られる、新しい時代のコミュニティとホスピタリティ空間を創出している。
不思議な縁に導かれて
私とソーホーハウスの縁をたどると、不思議な偶然がいくつも重なっています。
始まりは1995年。ソーホーハウスの1号店がオープンしたころ、私はロンドンに留学していました。当時お金もない学生だった私は、その存在すら知りませんでした。ただ、4年間を過ごしたイギリスで触れた空気や価値観は、振り返ると少しずつ自分の中に積み重なっていたように思います。
その後、ソーホーハウスという名前が強く印象に残ったのは、今から約10年前のことです。トランジットジェネラルオフィスに在籍時、代表の中村貞裕さんとロンドン視察の際にソーホーハウスを訪れる機会がありました。しかし同行人数に上限があり、私は中へ入ることができず、Uberの車内で待つことになったのです。戻ってきたメンバーは、口々に「うわー、すげえ」「本当にかっこいい」と興奮気味。その熱量に圧倒され、「そんなに人を夢中にさせる場所があるんだ」と、ソーホーハウスという存在が強く心に刻まれました。
そして、その視察から10年。今回ゼネラルマネージャーとしてソーホーハウス東京の立ち上げに携わることになり、さらに驚いたのがそのロケーションでした。トランジットにいた時の私のオフィスは、ソーホーハウス東京が入居する表参道Grid Towerの目の前にありました。ビルが建つ前の約5年間、毎日のように「なぜこんな一等地がずっと空き地なんだろう」と眺め続けていた場所だったのです。
ロンドン留学、Uber車内でのニアミス、毎日見ていた空き地。一つひとつは偶然ですが、20年以上の時間を経て、その点が一本の線につながり、今ここでソーホーハウス東京の立ち上げに携わっている。その巡り合わせに、不思議な縁を感じています。
サッカーが教えてくれた、本当に進みたい道
私がホスピタリティ業界へ進むことになったきっかけは、ロンドンで過ごした時間にあります。
もともとロンドンへ渡った理由はサッカーです。選手ではなく、日本ではまだ少なかったプロの指導者を目指し、FA(The Football Association)でコーチングを学ぶ予定でした。しかし現地で現実と向き合うなかで、この世界で生計を立てられる人はほんの一握りだと知ります。多くの人がアルバイトを掛け持ちしながら夢を追っている姿を見て、大好きなことを仕事にする難しさも実感しました。だからこそ、自分は本当に何が好きで、どんな形なら長く情熱を持って続けられるのかを真剣に考えるようになったのです。そのとき自然と思い浮かんだのが飲食の仕事でした。
祖父は寿司店を営み、幼い頃は職人さんに連れられて築地市場へ行くのが何よりの楽しみでした。仕入れを終えた後に一緒に食べる朝ごはんが本当においしかった。母も店を手伝い、私も幼いながら店先で手伝っていました。その頃の記憶は、今でも鮮明に残っています。
ホテルを選んだ理由も、実はサッカーと向き合う自分の歴史の中にあります。数人で切り盛りする小さな店よりも、何十人もの仲間がひとつのゴールに向かって力を合わせるホテルの仕事。そのチームワークのダイナミズムに惹かれました。私は最初からホテルマンを目指していたわけではなく、人と人が一つの目的に向かう面白さに魅力を感じ、この世界を選んだのだと思います。
リスペクトから生まれる感性
ソーホーハウスを語る上で、アートは欠かせない存在です。東京のハウスにも日本になんらかの由来がある約40名のアーティストの作品が展示され、空間そのものがクリエイティブな感性に満ちています。
私自身がアートに惹かれた原点も、やはりロンドンにあります。学校帰りにナショナル・ギャラリーへ立ち寄り、ゴッホの《ひまわり》を眺める。ロンドンでは世界屈指の美術館や博物館が無料で開放されていて、生活の延長線上にアートがありました。特別なイベントではなく、日常の中で本物に触れられる環境が、今思えば自分の感性を育ててくれたのだと思います。
アート好きだった当時の恋人とテート・ギャラリーへ通い、プレゼント用の大きな額装ポスターを抱えて電車でリバプールの彼女の家まで運んだこともありました。19歳の時です。モテたかっただけかもしれません(笑)。でも、その頃からアートは特別なものではなく、私の日常になっていました。
そして、その感覚をもう一度呼び覚ましてくれたのが妻の存在です。彼女はアパレルデザイナーとして活動した後、古い着物を現代の服へ生まれ変わらせるブランドを立ち上げました。一見すると自由奔放ですが、その根底には自然や生命への一貫したまなざしがあります。一緒に暮らすなかで、私自身も「自分とは違う価値観を認めること」を自然と学びました。 似た価値観の人といる心地良さもありますが、違う考え方に触れることで初めて見える景色があります。その感覚は、お客様との向き合い方にも、スタッフとの関わり方にもつながっています。
「グレーの領域」に宿る本質
ソーホーハウス東京がオープンして4か月。私たちが目指しているのは、マニュアルだけでは生まれない、一人ひとりの感性が生きるサービスです。そのために挑戦しているのが、「揺らぎ」をサービスの中に生かすことです。
日本のホテルでは、マニュアル通りに失敗なくサービスを提供することが重視されます。それは素晴らしい文化ですが、一方で、その先へ踏み出しにくい面もあります。例えば、「コーヒーは5分以内に提供する」というルールがあるとします。6分かかればマニュアル上は「不合格(失敗)」かもしれません。でもその6分の後に、スタッフが心からの笑顔で「お待たせしました。ぜひ楽しんでください」と声をかけ、お客様の時間そのものを豊かにできたなら、その体験は数字だけでは測れない価値になります。
もちろん基準は必要です。でも人の心を動かすのは、その先にあるものです。完璧なマニュアルのその先にある「グレーの領域」にこそ、本当のホスピタリティがあると考えています。目の前のお客様が何を求めているのかを考え、自分の感性で判断し、行動する。その積み重ねが、サービスを「仕事」ではなく、人と人との関係に変えていくのだと思います。
また、その考え方は私たちの空間づくりにも表れています。ソーホーハウスでは、9割まで完成した空間であっても、「違う」と判断すれば、そこから家具を入れ替え、壁を塗り替え、照明まで変更します。最後の1割まで妥協しない。その執念は、単なるデザインへのこだわりではなく、クリエイティブへの深いリスペクトなのだと感じています。作品や空間づくりに本気で向き合う人たちへの敬意があるからこそ、その想いを受け取る私たちもまた、一人ひとりのお客様に真摯に向き合おうとする。その姿勢は、ホスピタリティそのものにつながっていると思います。
5%の遊び心
今の若い世代は、「正解」を探すことがとても上手です。効率を重視し、怒られない方法を選ぶ。それは決して悪いことではありませんが、私は大人にも責任があると思っています。若い人たちが「こんな大人になりたい」と思える姿を、私たちが十分に見せてこれなかったのではないか、と。だから私は、全員に対して一方的に「もっとチャレンジしなさい」とは言いません。「仕事全体の5%にだけでも、遊び心を埋め込んでみてほしい」と伝えています。5%だけでも自分らしい工夫や好きなことを加えることで、仕事は単なる作業ではなくなります。私自身、今は5%どころか、それ以上に仕事を楽しんでいます(笑)。
日本では「人に迷惑をかけてはいけない」と教えられて育ちます。でも私が海外で学んだのは少し違う考え方でした。挑戦すれば失敗することもあります。誰かに迷惑をかけることもあるでしょう。でも、その経験から学び、いつか自分が誰かを助けられる人になればいい。若いうちはいくらでもやり直せます。失敗を恐れるより、一歩踏み出してほしい。その経験が自分だけの財産になっていくと思っています。
コミュニティが生み出す価値
ソーホーハウスは「ラグジュアリーな空間」ではありません。クリエイティブなマインドを持つ人たちが集い、人と人とのつながりが自然に生まれるコミュニティです。
オープン直後は、サービスが十分に行き届かないこともありました。それでもメンバーの皆さんは、「大丈夫。半年後に良くなればいいよ」と声をかけてくれました。店員とお客様という関係ではなく、「一緒にこの場所を育てよう」という意識を共有している。その空気こそが、この場所の一番の価値なのだと思います。
一歩足を踏み入れると自然と会話が始まり、新しい出会いが生まれる。アートも、空間も、サービスも、そのすべてはコミュニティを育てるために存在しています。デジタルの画面を眺めているだけでは出会えないものがここにはあります。少し遠回りをしてみる。少し不完全なものに触れてみる。そこで感じる揺らぎや違和感、人へのリスペクトが、自分だけの感性を育ててくれる。そして最後に一番大切なのは、「好きか、嫌いか」を自分で判断できることです。正解を探すのではなく、自分のものさしで物事を選び、自分の考えで生きていく。その積み重ねが、10年後、20年後の自分を支えてくれるのだと思います。
● インタビューを終えて…
外資系ホテルの第一線を歩み続けてきた岡田さんですが、お会いしてまず印象に残ったのは、その穏やかな人柄でした。お話を伺う中で何度も耳にしたのは、「リスペクト」という言葉です。それはアーティストに対してだけではなく、奥様の価値観にも、若い世代にも、お客様にも向けられていました。取材を終えて外へ出ても、岡田さんの「5%の遊び心」という言葉が、ずっと頭の中に残っていました。ソーホーハウス東京もまた、建物やインテリアの美しさだけではなく、そこで育まれる人と人との関係性によって、これからさらに魅力を増していく場所なのだと思います。その歩みを、一人のファンとして楽しみにしています。【M】