可愛い猫の写真。飼い主は喜ぶだろう。でも、アートじゃない。けれどこれが「不法移民たちは住民のペットの猫を食べる」というトランプ大統領の流言に揺れた町で行方不明になり、のちに地下室からひょっこり出てきた猫だとしたら? その写真はアートになるのだ。被写体がもつ驚くべき背景や意味深な理由、読み解くべき鍵。そんな「奥行き」があること。藤原ヒロシがタリン・サイモンの作品に惹かれる理由だ。![]()
——藤原さんは、タリン・サイモンという1975年生まれのアメリカ出身の女性アーティストに今、注目しているそうですね。
藤原ヒロシ[以下F] ええ、そうなんですが、アートの専門家の間では彼女の評価って、どうなんでしょうか?
鈴木芳雄[以下S] 来年9月から、NYのグッゲンハイム美術館で展覧会が予定されているようですし、日本でも展覧会を開催したいと考えているキュレーターはいると思いますね。
F 彼女は、社会派というか、ジャーナリスティックな側面もあるんですが、そういうジャンルのアートって日本では、どうなんでしょう?
S 例えば米田知子とか、日本にも彼女のように対象への入念なリサーチをもとにして作品を制作するアーティストはいます。でも、そうした作家の場合、問題意識がどこを向いているかが評価に関わりますね。
F 確かにタリン・サイモンには、アメリカ国内のことをテーマにしている作品も多くて、例えばCIAをモチーフにした作品なんかは、日本人にはピンとこないかもしれないですね。
——藤原さんは、タリン・サイモンのどんなところを気に入っているのですか?
F 僕が最初に彼女を知ったのは〈Paperwork and the Will of Capital(2015)〉という作品群なんです。それは、国家間で条約や合意を結ぶ時の書面にサインをするためのテーブルには、必ず花が置いてあることに彼女が気づいて、その花を再現して写真を撮って、さらに、それを押し花にしたものも撮影した写真作品のシリーズです。
タリン・サイモン『Paperwork and the Will of Capital』 2016年 Hatje Cantz
——一見すると、ただのきれいな花の写真ではあるものの、実はその花にはシンボリックな政治性が秘められている……。
F 展示されている花の写真を見て、「きれいな花だな」っていう印象を最初に持ったとしても、その先に、現代美術作品としての「奥行き」があるんです。そこが、すごく面白い。花って、常にアートの対象になるじゃないですか。そして、美しいだけでなく、怖かったり、不気味だったりするものでもある。だから、花を見ることの「奥行き」の広がりって、人によって、あるいは状況によって違うのだと思うし、その「奥行き」の部分がアート的で面白いと思うんです。だから、僕自身、花をモチーフとした作品が好きなんです。
S なるほど。それで思い出すのは、さっきも話に出た米田知子の作品に終戦記念日の頃に靖国神社に飾られた菊の花の写真があるんだけれど、それが、彼女の他の作品、地雷原の写真だったり、一見、何の変哲もない風景写真が実は「スコープを覗く狙撃兵の視点」から撮影された写真と重なると、靖国神社の菊の花も戦争を暗示するように見えてきます。
F いろんなアーティストに花の作品がありますよね。ウォーホルの花も有名だし、マーク・クインにも、アラーキー(荒木経惟)にもあるし。花に何を象徴させるか、それがアーティストによって異なるのも面白いですよね。
S そして、美術作品に表された花には、どこか「生と死」が感じられる。しかも、その「生」と「死」は対立する概念ではなくて、花のなかに「一つのもの」として表されている。アラーキーの場合、墓石の横の枯れ行く花が、花の作品の原点なんですよね。
F その反対にマーク・クインは、冷凍された「枯れない花」。そんななかで、タリン・サイモンは国家間の条約締結の場に置いてある花に目を付けたのが、すごく面白いと思うんです。その花を自分で再現して、押し花にまでして、大きな展示作品にするというのは、まさに現代美術だと言えるんじゃないかな。
——タリン・サイモンには他にどんな作品があるのですか?
F 『BIRDS of the WEST INDIES(2013)』という、作品集があって、これも面白いんです。タイトルを訳すと「西インド諸島の鳥類」ですが、なかに出てくるのは映画『007』シリーズで使われた武器やガジェット、衣装なんかの写真で、説明のテキストは一切無し。で、なんで『007』なんだろうと思って、この本のことを調べたら、『BIRDS of the WEST INDIES 』という全く同じタイトルで、表紙のデザインもそっくりな1950年代にアメリカで出版された鳥類図鑑を見つけたんです。そして、その図鑑の著者である鳥類学者の名前が“JAMES BOND”。『007』の原作者のイアン・フレミングがジャマイカで小説の構想を練っている時に、趣味の野鳥観察のために持ってきていたこの図鑑『Birds Of The West Indies』の著者の名を『007』の主人公の名前に拝借したらしいんです。
タリン・サイモン 『Birds of the West Indies』 2016年 Hatje Cantz
——捉え方によっては、『007』を彩る武器やガジェットをカタログにすることで、『007』のストーリーが、いかに男性中心主義的なファンタジーであるかを表しているようにも感じます。
F それで、この本ですが、とてもかっこいい本なんですよ。『007』のガジェットや武器が、すべて黒バックで撮影されていて、デザインも装丁も素晴らしく、写真集としてとてもよくできているんですね。
タリン・サイモン『Birds of the West Indies』
でも、「なんで、『西インド諸島の鳥類』なんて、タイトルなんだろう?」って不思議に思ったなら、そこから、この作品集の持つ意味を一つ一つ読み解いていけば、アートの持つ「奥行き」を体験することができるんです。僕は全てのアートに、そのような「奥行き」やストーリーが隠されていると思っています。そして、このタリン・サイモンは、そのことを知るのに、とても相応しい作家だと思うんです。
会期|2025年6月14日(土) – 7月26日(土)[会期終了]
会場|Almine Rech Paris
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