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国際芸術祭「あいち2025」が開催中だ。これぞ国際芸術祭、と言わざるをえない。世界中の地域と文化圏から、これまで知り得なかった数多くのアーティストたちを招いた今回の「あいち」は鮮烈でフレッシュ、そして極めて多様性に富む展覧会である。

最初に伝えたいのは開幕前に提示された以下のステートメントだ。すべてはここに表明された強い意志に基づいている。

国際芸術祭「あいち2025」は、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」(2007年)をふまえ、すべての先住民族および先住民のアイデンティティをもつ人々の歴史、文化、権利、そして尊厳を尊重します。
また、民族や国籍、人種、皮膚の色、血統や家柄、ジェンダー、セクシャリティ、障がい、疾病、年齢、宗教など、属性を理由として差別する排他的言動や、その根幹にある優生思想(生きるに値しない命があるというあらゆる考え方)を許容せず、この芸術祭が、分断を超えた未来につながる新たな視点や可能性を見出す機会となることを目指します。

国際芸術祭「あいち2025」公式サイト

芸術監督を務めるのはシャルジャ美術財団理事長で国際的に活躍するキュレーター、フール・アル・カシミ。現代のアートシーンでもっとも影響力を持つ人物のひとりだ。彼女が掲げた本芸術祭のテーマ「灰と薔薇のあいまに」は、シリアの詩人アドニスが1967年の第三次中東戦争時に著した詩の一節。転じていまパレスチナをはじめ各地で起きている戦争や破壊を踏まえ、燃え殻しか残らないように見える現実と、瓦礫の中にふたたび芽吹く希望との境にいる私たちの立脚地を示唆する。

第6回を迎えた「あいち」の主会場は、愛知芸術文化センター、窯業の歴史を持つ瀬戸市のまちなかと愛知県陶磁美術館。また本芸術祭の大きな特色であるパフォーミングアーツのプログラムが週末ごとに上演される。ここでは展示作品からいくつかを紹介したい。

愛知芸術文化センターでは空間を広々と使った展示が多く、自分のスケール感を大きく開かれるようだった。
会場入り口で出迎えるのは、インドネシアのムルヤナが工場で余った糸を使い、海の生態系をつくりあげたインスタレーション《海流と開花のあいだ》だ。色とりどりの珊瑚やイソギンチャクの群生と、白いクラゲや化石化したイッカクの骨を空間広域に併置し、海中の生物多様性を精緻な造形で見せてくれる。

国際芸術祭「あいち2025」 展示風景 ムルヤナ 《海流と開花のあいだ》 2019年- © 国際芸術祭「あいち」組織委員会

バーシム・アル・シャーケルの鮮やかな絵画は、壁と天井から見る人を覆うように設置されている。一見美しいこの作品は2003年のイラク戦争で彼が目の当たりにした爆撃直後の光景を描いたシリーズだ。戦争を体験したアーティスト田名網敬一が、空襲のイメージには「美」の記憶もあったと語っていたことを思い、人間の記憶の複雑さ、無意識に潜む生への意欲に動揺せずにはいられない。

国際芸術祭「あいち2025」 展示風景 バーシム・アル・シャーケル ©︎ 国際芸術祭「あいち」組織委員会 撮影:ToLoLo studio

浅野友理子はさまざまな土地を訪ねて特有の食文化や植物の利用法を学び、長く受け継がれてきたものをもとに絵画を制作する。植物を取り巻く知恵や女性の労働、自然との共生、生命の循環といった問題意識を投影する絵画に加え、本展では瀬戸市の植物を描き、その「灰」を使った釉で大皿を制作した。

国際芸術祭「あいち2025」 展示風景 浅野友理子 ©︎ 国際芸術祭「あいち」組織委員会 撮影:ToLoLo studio

同じ展示室で、アフリカのモダニストに大きな影響を与えた1937年スーダン生まれのカマラ・イブラヒム・イシャグの作品を見ることができる。自然信仰の儀礼に着想を得たイシャグの作品は挑戦的で、世界中に離散したアフリカ女性たちの因習に支配・束縛された人生を想起させる。

国際芸術祭「あいち2025」 展示風景 カマラ・イブラヒム・イシャグ 《バイト・アル・マル》 2019年 ©︎ 国際芸術祭「あいち」組織委員会 撮影:ToLoLo studio

アラスカ大学でネイティブ・アート、絵画、彫刻を学んだ是恒さくらは、世界各地の鯨類と人の関わりや海のフォークロアをフィールドワークから探り、エッセイや詩、刺繍作品として発表している。鯨をめぐる営みを多角的に表現したインスタレーションは、ぐっと引きをとっても覗き込んでも見応えのある叙事詩となった。

国際芸術祭「あいち2025」 展示風景 是恒さくら 《白華のあと、私たちの足下に眠る鯨を呼び覚ます》 2025年 ©︎ 国際芸術祭「あいち」組織委員会 撮影:ToLoLo studio

本会場でひときわ圧巻なのが、1957年ガーナ生まれで、幼少期に英国に移住したジョン・アコムフラのビデオインスタレーション《目眩の海》だ。昨年のヴェネチアビエンナーレ英国館ではディアスポラをめぐるイメージと音の渦に人々を巻き込んだが、2015年制作の本作でも、海にまつわる底知れない謎が観るものを翻弄する。ニューファンドランド沖の捕鯨、北極のホッキョクグマ狩り、残虐な政治犯の処刑や小舟に積まれ漂流する難民といったBBCのアーカイブと、ターナーやジェリコーなどの西洋絵画を引用した自作のフィクションを構成した映像がスピーディに攪拌される。閉館まで呆然と座り込んでしまった大作だ。

千年以上続くやきもののまち瀬戸市で現代美術を見る

続いて瀬戸市のまちなかへ。
佐々木類が大正期に建てられた古い銭湯跡で展示している作品に息をのむ。古民家で使われていたガラスの中に地元の人たちと採集した植物が封じ込められ、微かに命の痕跡を残した化石のように仄かな光を放っていた。

国際芸術祭「あいち2025」 展示風景 佐々木類 《忘れじのあわい》 2025年 ©︎ 国際芸術祭「あいち」組織委員会 撮影:城戸保

オーストラリアの先住民族の末裔であるロバート・アンドリューは、窯業の工場跡にプログラミングによるインスタレーション《内に潜むもの》《ブルの言葉》を展示。乾いた粘土や顔料が謎めいた形や言葉をしだいに露わにする儀式的な時間は特別なもので、西洋文化の支配の下で葬られてきたオセアニアの歴史を暗示させる。

国際芸術祭「あいち2025」 展示風景 ロバート・アンドリュー 《内に潜むもの》 2025年 ©︎ 国際芸術祭「あいち」組織委員会 撮影:城戸保

旧瀬戸市立深川小学校では1階部分を使って、アルゼンチン生まれのアドリアン・ビシャル・ロハスが大規模な作品《地球の詩》を展開している。窓ガラスや階段、手洗い場などあらゆるところに張り巡らせた壁紙には、人新世を超克したのちの地球をめぐる壮大な物語が繰り広げられている。

国際芸術祭「あいち2025」 展示風景 アドリアン・ビシャル・ロハス 《地球の詩》 2025年 ©︎ 国際芸術祭「あいち」組織委員会 撮影:城戸保

愛知県陶磁美術館では、端正な谷口吉郎建築を背景に、陶芸を軸とする質の高い作品が数多く展示されていた。
エントランスにはケニア生まれのワンゲシ・ムトゥの大作《眠れるヘビ》が横たわる。漆黒の胴体に女性の頭部を持つ大蛇が、アフリカ女性を拘束してきた事物に夢の中でも苛まれる様子が表現されている。続く展示室でも、丘を登るムトゥ自身の頭上にのせた大きな籠にどんどん重荷が積まれていくアニメーション映像《すべてを運んだ果てに》に惹き込まれた。

国際芸術祭「あいち2025」 展示風景 ワンゲシ・ムトゥ 《眠れるヘビ》 2014-2025年 ©︎ 国際芸術祭「あいち」組織委員会 撮影:怡土鉄夫

米国生まれのシモーヌ・リーもまた黒人女性の主観をテーマにする作家だ。奴隷貿易の通貨だったタカラガイのモチーフをびっしりと張り込んだスカート。アメリカ南部の解放奴隷の職人たちが制作した顔付きの水差しに物言いたげないくつもの口が突き出すブロンズ彫刻。詩人・教師・活動家のジューン・ジョーダンに捧げられた、西アフリカの伝統建築を引用したラフィアの塔。陶やブロンズの濡羽色と熟考された造形が強く印象を残す。

国際芸術祭「あいち2025」 展示風景 シモーヌ・リー 2025年 ©︎ 国際芸術祭「あいち」組織委員会 撮影:怡土鉄夫

空洞の陶の造形に息や声を吹き込むパフォーマンスで評価が高まる西條茜は、世界各地の窯元などに滞在し、地元の伝説や史実に基づいた作品を手がけてきた。本展の新作《シーシュポスの柘榴》では瀬戸の窯業のリサーチを経て、環境・労働・身体の関わりを表現する。

国際芸術祭「あいち2025」 展示風景 西條茜 《シーシュポスの柘榴》 2025年 ©︎ 国際芸術祭「あいち」組織委員会 撮影:怡土鉄夫

敷地内の施設「デザインあいち」では、釣り好きの加藤泉が「何十年ぶりかで写真や図鑑を見ながら」(作家)ハイブリッドな海の生物を描いた絵画シリーズを展示。さらに、いたいけなソフビ彫刻と同館所蔵の古陶磁を無邪気に組み合わせたガラスケースの展示も心和ませる。

国際芸術祭「あいち2025」 展示風景 加藤泉 © 国際芸術祭「あいち」組織委員会 撮影:怡土鉄夫

このほか小さな茶室の中の壮大な大小島真木の作品世界、ガーナのハイブ・アースによる環境に配慮した版築に着目するプロジェクトも見逃さないでほしい。

このように、アラブ、アフリカ、アジア、オセアニア、中南米といった非西洋地域出身の作家にフォーカスし、欧米の白人男性作家やスター作家がほとんど参加していない「あいち2025」。これはヴェネチアビエンナーレほか多くの国際美術展の近年の傾向である。少々過剰にも見えるが、これまでの欧米偏重と極右政治の台頭を思えばいまこそバランスを揺り戻す時期なのだ。
そしてこれほど「灰と薔薇のあいまに」というテーマがすべてに響きわたり、作家もキュレーターもダイレクトにそれに応答した国際展は稀有である。私たちの世界の様相がそれだけ末期的な状況にあることを示しているのだ。展示全体に誰でも直感的にうけとめられるような工夫がなされ、解説文を読むまでもなく自然に感情を揺さぶられ作家の意図と繋がることができる。そこには芸術が持ち得る強いシェアリングの力がある。

国際芸術祭「あいち2025」灰と薔薇のあいまに

会期|2025年9月13日(土) – 11月30日(日)
主な会場|
愛知芸術文化センター
開館時間|10:00 – 18:00[金曜は10:00 – 20:00]入館は閉館の30分前まで
休館日|月曜日[月曜日が祝休日の場合は翌火曜日]、11/25(火)は臨時開館
愛知県陶磁美術館
開館時間|9:30~16:30[10月以降]入館は閉館の30分前まで
休館日|月曜日[月曜日が祝休日の場合は翌火曜日]、11/25(火)は臨時開館
瀬戸市のまちなか
開館時間|10:00 – 17:00[入館は閉館の15分前まで(瀬戸市美術館は30分前まで)]
休館日|火曜日[火曜日が祝休日の場合は翌水曜日]、11/25(火)は臨時開館

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