
アートとメンタルヘルスの関係ついて、NPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ[AIT/エイト]の堀内奈穂子さんに伺う本連載。これまで、堀内さんを中心にAITが手掛けてきたプログラム「dear Me(ディアミー)」の活動や鑑賞プログラムの価値について、また堀内さんらがオランダで視察してきたアートがメンタルヘルスに関わる取り組みについて話を聞いてきた。3回目となる今回は、オランダのプログラムとの関わりを経て、日本でどのような実践を行なってきたか伺う。
聞き手・文=福井尚子
福祉とクリエイティブについて考える「子どもとフクシとアートのラボ」
AITが2016年から手掛けてきた、さまざまなバックグラウンドを持つ子どもや若者と共に芸術体験を行うプログラム「dear Me(ディアミー)」。そのディアミーの活動を出発点に、2018年にはAITの教育プログラムMADの中で、連続講座「子どもとフクシとアートのラボ」を開講する。児童福祉や子どもに関わるさまざまな立場の人を講師として招いた。
「日本大学危機管理学部の准教授の鈴木秀洋さんには制度面から児童福祉にまつわる現状を教えていただき、ヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表の土井香苗さんには、里親をなさっている方と一緒に来ていただいて、里親家庭がどのように子どもを受け入れていくかというようなお話を聞きました。子どもが孤立しない社会をつくろうと活動しているNPO法人PIECESの小澤いぶきさんや、dear Me(ディアミー)のワークショップの講師をしていただいた美術家のKOSUGE1-16の土谷亨さん、小説家の高橋源一郎さんにも来ていただきました」
さらに前回のコラムにも登場した、オランダの「フィフス・シーズン」のエスター・フォセンさんと、共にプロジェクトを進める精神科医のウィルコ・タウネブライヤーさんも招き、精神科医療施設でアート活動を行う意味や取り組みの実際についてレクチャーをしてもらったという。
本講座のゲストのひとりが、「浦河べてるの家」の向谷地生良さん。べてるの家は、1984年に北海道浦河町に設立された、精神障害などをかかえた当事者の地域活動拠点だ。特に「当事者研究」でよく知られている。「当事者研究」とは、2001年にべてるの家で始まった、さまざまな精神疾患をかかえた当事者が、自らの生きにくさについて、周囲と語り合うなかで対処法を探して行く手法のこと。医師や専門家にすべてを委ねるのではなく、自分自身が主体となって、仲間とともに自分を助けていくことを実践する試みだ。
「ある人が抱えている問題や悩みに対して、医療的な実践とは違う、時にユニークなアイディアを出し合う。例えば『(その悩みを)鼻息で吹き飛ばしてみたらいいんじゃない』というものが出たとすると、実際にそれを実践してみるんですね。そうするとおそらく医療的な治療や処方とは違った心や脳の働きを感じることがある。医療に対するオルタナティブな方法でもあるし、『表現』に変えることにより今までの常識を疑ったり、価値をとかしていくような前衛的なアートの考え方とも共有することがあるなと思ったのが、べてるの家との協働のきっかけでした」
弱さの情報公開——「べてるまつり」を訪ねて
連続講座を開催した翌年の2019年の夏には、AITの主催で、べてるの家で開催される「べてるまつり」をたずねる2泊3日のツアーを開催。「べてるまつり」とは、べてるのメンバーが体験した幻覚や妄想を発表する「幻覚&妄想大会」や、生きにくさを仲間と共有し研究というアプローチから深める「当事者研究大会」などが開催されるイベントだ。この「まつり」をめがけて1年に1度、浦河の町に世界中から人が集まる。
「ひとつの醍醐味が『幻覚&妄想大会』で、その年に最も激しい、あるいは面白い幻覚・幻聴・妄想を体験した人を表彰するんです。通常、他人に言いづらいように感じることや、医療的に困ったとされる出来事もユーモアに変える力があって、会場中が笑いに包まれるんですよね。その人が持っている苦労をネガティブに捉えるのではなく、労わったり、ある種のクリエイティビティとして表彰するように見えました」
AITが主催したツアーには、MADの受講生のほか、関東近郊にある障害福祉施設のスタッフも社員研修として参加し、アートが好きな人と医療の専門家が混ざり合うような状況が生まれていたようだ。

べてるまつり in 浦河(2018年開催時の様子)
Photo by AIT
「私が、べてるの家の考え方の中でとても共感するのが、『弱さや困っていることを公開する』というところです。弱さを見せにくい風潮が社会全体にあるけれど、そうではなくて、弱さをむしろ情報公開することで、いろんな人の助けを求めたり相互扶助が生まれて、そのことにより、つながりを生んだりすることがある。『当事者研究』というのは、『弱さの情報公開』からきているんですよね。そのことを知ることで私自身も気が楽になったことがあって、非常に影響力の大きい実践だなと感じています」
べてるの家との協働「アート、精神、コミュニティ in 東京/北海道」
講座への登壇、ツアーでの訪問などを通して、べてるの家と交流してきたAITは、2020年、べてるの家でアーティスト・イン・レジデンスを行う。 ここには、エスターさんから精神科医療施設にアーティストが滞在して制作を行う「フィフス・シーズン」の取り組みを聞いていたことも背景にあるそう。アーティストが患者やスタッフと密に交流することで、ただ病院に入院している人に会いに行ったり、すでに見知っている情報から精神疾患にまつわる作品をつくったりするのとは全く異なる作品が生まれてきていると話を聞いていた堀内さん。AITのアーティスト・イン・レジデンスでも、施設の方々と協働してなにかできないかと考えるようになっていた。
「中国の広州に時代美術館という美術館があって、社会課題を取り入れながら、より地域コミュニティに根ざした展覧会や教育プログラムをやっていきたいと考えていました。べてるの家とAIT、さらに同じ志を持つ海外の美術館が入ることで、国をまたいで考えられることがあるかなということで、3者で『アート、精神、コミュニティ in 東京/北海道』というタイトルで行いました」
時代美術館でメンタルヘルスや障害のある人と共に実践することに関心があるアーティストを公募。その中で選ばれたのが、ダンサーのEr Gao(アーガオ)さんだった。これまでにスイスやドイツ、フランスなどで実験的なダンスパフォーマンスの発表を行うほか、子どもやダウン症の人々など、多様な参加者との協働も経験してきたダンサーだ。 来日したアーガオさんは、べてるの家のメンバーが暮らしているグループホームに滞在。メンバーと暮らしながら、昼間は「当事者研究」などの活動に参加した。
「アーガオさんはべてるで『How are you Dance?』というワークショップを行いました。べてるの『当事者研究』では、『症状はどう?』ではなく『今日のあなたの気分は?』ということを対話のはじまりにシェアして、元気、落ち込んでる、眠い、などというところから気軽なコミュニケーションが始まるんです。それにならって、言葉ではなく、身体でコミュニケーションを始めるようなワークショップでした。最終的に、子どもの頃に聞いた童謡など思い出の曲を起点に、言葉の代わりに身体で表現してみる、ということをしました」

アーガオさんによるワークショップ風景 浦河べてるの家 2020年
Photo by AIT
人柄も見た目もスイートなアーガオさんは、べてるのメンバーからも大歓迎されていたのだそう。べてるを去るときには号泣するほどで、「メンバーとも、非常に深い関係性ができていたのではないか」と堀内さんは振り返る。 べてるの家での滞在を終えたあとは、東京で即興ダンス・ワークショップ「日々を踊ろう|消えてゆくものと、現れる記憶」を実施。ここには、路上生活経験者たちで構成されたダンスカンパニー「新人Hソケリッサ!」の振付家・アオキ裕キさんやメンバーも参加した。
「ソケリッサの方々の表現を見ると、衝撃的に面白いというか、すごいんですよね。まさにアオキさんが目指す通り、いろんな生き方をしてきている人の身体の動きってとても興味深くて、いろんなことを経験してきたからにじみ出てくる感覚や表現がある。さらにエネルギッシュでもある」
べてるの家での経験を活かすように、参加者へは「今日の気分」を伝えるようにアーガオさんは投げかけたそう。
「例えば『挨拶をしたいときにはお尻でしよう』とお尻をぶつけ合うなど、言葉に変わるものとして身体を使うようなワークショップでした。参加者には子どもも大人もいて。事前に集めた思い出の写真をスライドで見ながら出てきたエピソードを、グループごとに動きに置き換えて発表しました」
東京に続いて、べてるの家が行う当事者研究にも取り組む千葉県のデイケア施設「るえか」でもワークショップを行った。ペアでマッサージを行うことから徐々に即興的なダンスへと発展し、ちょうどひな祭りの季節だったため、童謡「うれしいひなまつり」に合う振付をグループごとにつくって披露することを行ったという。

「るえか」でのワークショップ風景 千葉県 2020年
photo by 越間有紀子
東京でのワークショップの最後、参加者とディスカッションの時間が設けられたときに、アーガオさんの話で印象的なことがあったと堀内さんは話す。
「べてるの家での滞在について、精神疾患は特別なことじゃないと感じた、誰でも怖いものはあるし、おかしいのはこの世界の方なのかもしれない、というような感想を述べてくれたのが印象的でした。
この滞在はアーガオさんにとっても大きな経験になったようで、中国に戻ってからも、より多様な障害のある方やあるいは社会の中でなかなかダンスにアクセスする機会がない方に向けたダンス公演を精力的にしています」
新たな協働「CAT」と多様な人々へプログラムを開くことの可能性
ディアミー、エスターさんとの出会い、べてるの家との協働などを経て、アートの心に及ぼす影響や多様な人が混ざり合いながら共に表現することの可能性を感じてきた堀内さん。2022年に立ち上げた新たなプロジェクトが「コレクティヴ・アメイズメンツ・トゥループ[CAT]」だ。
CATは、「dear Me(ディアミー)」と、ダウン症や自閉症のある子どもたちを中心に絵を描く活動を行ってきた市民グループ「アトリエ・エー」、そしてオランダの「ミュージアム・オブ・マインド(心の美術館)」、3者のコラボレーションによるアートプロジェクトで、それぞれの知見を交換しながら、多様な特性のある子どもや若者たちと伴走する大人が好奇心を持って出会い、表現の場をつくりだしていくことを目的とした。
2023年12月には、ミュージアム・オブ・マインドのメンタルヘルス・プログラムマネージャー、ヨレイン・ポステュムスさんを招聘し、ワークショップ「Mark to the Music(マーク・トゥー・ザ・ミュージック)」を開催。学生時代から美術史や、仏教、瞑想、ボディーワークなどを学び、アートとメンタルヘルスをつなぐ専門家として活躍するヨレインさんによるワークショップは、心を解放しながら、参加者それぞれが思い思いのかたちで表現するものだった。
瞑想から始まり、五感を解放して、音楽に耳を澄ませ、参加者がそれぞれのタイミングで描き始める。参加したアトリエ・エーのメンバーは、こうした創作のプロセスを体験することは初めてだったが、音楽や環境に気持ちや身体を委ねながら、それぞれの表現にまっすぐに取り組んでいたそうだ。
CATでは「アトリエ・エー」のメンバーを中心とした障害のある子どもたちとともに美術館を訪れ、対話を重ねながら作品を鑑賞する「インスピレーション・ツアー」を重ねている。ここでもべてるの家で学んだ当事者研究が起こっているように感じることがある、と堀内さんは話す。
「作品を見ることによって、例えば家族の話や、気持ちの話が出てきたときに、それに対して他のメンバーが『なんでだろうね』とか『その色が好きなのはどうしてだろう』というように話を広げていくことがあります。当事者研究を目指しているわけではないのですが、鑑賞プログラムのなかでも、こうした対話的な時間が流れることがあるのかなと思いました」
エスターさんとの出会いに刺激を受けて、福祉施設「浦河べてるの家」にアーティストが滞在して実践を重ねる場を設け、その施設が行う「当事者研究」という手法がまた鑑賞プログラムに活かされていく。実践とリサーチを繰り返し、多様な人を巻き込みながら、プログラムを発展させていくAITや堀内さんの有機的なプロセスに共感を覚える。
堀内さんはこれらの取り組みを通じて、多様な人々へプログラムを開くことの可能性を感じてきたという。
「多様な人とプログラムを行うことに対して、当初考えていた難しさだけではなくて、多様な人に開くことこそが面白いし、それがアートにとって非常に大事なことであるということを感じました。
芸術の表現というものは常に変化したり、シフトし続けたりしています。芸術そのものが多様性を持ち、社会課題を映し出すものであるのに、芸術を見たり体験したりするのが一定の人たちだけであるということには、そもそも矛盾があるんです。
AITの現代アートの学校も、当初は大人向けに始めたのですが、そこで得る学びはアート好きな大人に限らず、子どもやアートにアクセスする機会が少ない大人などにも活かすことができるし、もっと一緒に考えるべきではないかと思いました。それによって、アートにとっても新しい批評の場になりうるし、さまざまな意見が混ざり合ったり揺さぶられたりすることで、そこにいる人たちにとっても自分が今生きている環境や世界観とまったく違うものが得られたり、あるいは広がったりする。そのことを、こうした実践から考えるようになりました」
堀内さんのお話を聞きながら、もしかしたら子どもや障害のある人たちと同じかそれ以上に、「普通」に生活していると思っている大人にこそ、アートの学びは効くのではないかと感じた。近年、世界中の美術館や劇場、アートの場でもバリアフリーを行ったり、子どもや障害のある人が鑑賞しやすい教育プログラムを用意したりと、来館来場者をより開いていくことが進められている。多様な人々に開かれていくことで新たな体験の機会が増えることはもちろん、アート好きな人にとっても、新たな価値観に出会い世界が広がる機会となるはずだ。しかしそれ以前に、「普通」に暮らしている(まだあまりアートに触れることがない)大人たちも「多様な人々」に含まれる。それこそ「普通」にアートにアクセスする機会はより開かれ、さまざまに活かされるべきものであるはずだ。
毎日仕事をしていると、どうしても会社や職場などで自分と似た属性の人たちにしか顔を合わせない、均質化した日々が続く。アートを通して考えることや、多様な人と出会い、言葉を交わすことは、こうした「普通」の日々に、新しい刺激やアイデアをもたらし、視野を広げてくれるのではないだろうか。
次回は、国内や海外の医療や教育実践の成果例などから、アートとメンタルヘルスの関係について続けてお話を伺う。
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