美術史の豊かな知識を土台にして、当代一の画力を武器にどこにもない絵を生み出す。そんな人気画家、山口晃ガハクは夫婦揃って食いしん坊。日常で、旅で、制作中の日々で、散歩の途中で何を食べてるの? ガハクが日常を描くコミックエッセイ『すゞしろ日記』に「カミさん」として登場するガハク妻による食事帖。 毎度かしわ餅を巡って展開するガハクの “NO MISO, NO LIFE” 。

 

絵/山口晃

4月の下旬、所用があり横浜の実家へ帰った。
おやつに出されたのがやや時期を先取りしたかしわ餅。和菓子屋のれっきとしたものではなく、大袋にいくつか小分けで入っている冷凍の気軽な製品だ。おそらく宅配で野菜などと一緒に頼んだのであろう。
大皿に並べたかしわ餅を見て、母が誰に言うでもなく小さく独りごちている。
「どっちか分からなくなっちゃった」
「あー、もしかしてみそ味がある?」

かしわ餅にみそ味がある件について、みそ好きの山口ヒゲ画伯こと夫(以下ガハク)と軽く意見がぶつかったことが何度かある。
みそ味は特殊でほぼ見かけることはない、味も独特につき好きずき、という「みそ味なんて」感のあるわたしの見解にガハクは全面反対する。
ガハクによれば、みそあんのかしわ餅はあるのが常識。みそのコクや甘さというものは味に広がりと深みをもたらし、みそが使われた食品はすべておいしいに決まっている、とのこと。
かしわ餅に限らず、ガハクは何時もみそは素晴らしい、みそ万歳、みそサイコーという勢いなのだ。
わたしも小さい頃にみそ味のかしわ餅を食べた経験はあって、甘いのかしょっぱいのか分からない、とらえどころのなさに大いに戸惑った。わたしだけでなく妹たちの反応も今ひとつだったのだろうか、その後みそ味が出された覚えはなく、そもそもうちは姉妹なのでかしわ餅を食べる習慣自体が希薄であった。

だが、いい大人になった今、ガハクの力説するみそ味のかしわ餅のよさについて、それがどれほどのものか確かめてみようという気になった。
「晃さんがね、好きらしいよ。みそ味のかしわ餅」
「あら、そうなの。じゃ、おみやげに持っていってちょうだい」
それを聞いたからということでもないが、うちの家族もなじみのないみそ味の方に興味を持ち、皆がそちらの方にまず手を伸ばす。
「中のあんが透けて色がついているように見える方がみそだと思う」
一見そっくりだが、よく見ると、餅がくっきり白いものと、やわらかいピンクというかクリーム色のようなかすかに色づいている一群とがある。
生ぐさいみその風味を予測して、おそるおそる口に運んでみるが、薄い黄色のあんは少々しょっぱさを感じる程度でみたらし団子を連想させ、みそっぽさはほとんど感じられず肩透かしをくらった気分だ。

一緒にみそ味を食べた父母と妹からは、食べ終えた後にも特にコメントはなかった。つまり、とびきりおいしいということもない訳だが、ごく自然にすんなり受け入れているということでもある。
わたしは外袋を裏返して製造元が東北の一県であると確認する。ガハクの出身は北関東の群馬。北に行くほどもしかしてみそ味が浸透しているのかも、と軽く自分ながらの仮説を立ててみる。
冷凍のかしわ餅は小ぶりで、直径5センチに満たないくらい。外皮の餅の部分はきれいに丸められて、つるつるした食感でさっぱりしている。では食べ比べてみよう、とばかりに続けてこしあんの方を皆で手に取った。
食べてみて、家族からはみそと比べてどうこうとか、こしあんのかしわ餅自体に対しての感想も特に発せられなかったが、わたしはその場に「あんこの方がやっぱり落ち着くよね」という雰囲気が流れていたように感じた。

「これ、実家から、おみやげ」
「かしわ餅? そういう季節か」
「冷凍だから味はそんなに期待しないで。みそ味もあるよ」
「みそ。みそ、いいよねー」


「実家で、みその方食べたけど」
「おいしいよねー。やっぱりみそだよ」
「うーん」
おいしくなくはなかったけれど、ガハクに全面的に迎合するのもどこか癪だ。
どうしてだろう。ほらみたことか、とガハクから勝ち誇ったように「みそ愛」を語られるのが、愉快でないのか。滔々と説かれたからといって、同じように好きになれるわけではない。
「だけどかしわ餅のみそ味というのはあまり見かけないよね」
「またそんなこと言って。みそ味があるのが当たり前なの!」
「この辺の和菓子屋にはないよ。たぶん」
「見てもいないくせに」
「だったら明日、下のお店に行ってくる」
坂を下った大通り沿いに、お正月のお餅を買う和菓子屋が1軒あるのだ。

この辺りは下町ということで近年観光地化しつつあり、週末とあって大通りに近づくにつれ人が多くなる。
目指す和菓子屋には大きく「柏餅」のポスターが貼られていて、なんと数人が並んでいる。通りすがる人の「ここ、有名店なのかしら」という声が聞こえてくる。
この界隈にあった和菓子屋は少なくとも2軒が閉めてしまったから、手頃な和菓子屋はここしかない。
店内は甘味処になっており、お菓子や餅の販売は通りに面したショーケース越しになる形式。列に並んで前の人の肩越しに商品棚をのぞいてみると・・・みそ味のかしわ餅が、あった。東京の和菓子屋にも普通にあるのかと、軽く敗北感を覚える。
ここではこしあん、つぶあん、みそあんの3種類がそろっていて、置かれている配分としてはこしあんが一番多く、つぶとみそはその半量。ということは定番がこしあんということか。
つぶあんの方が好みではあるが、かしわ餅らしさがあるのはこしあんの方かな、と考えて、こしあんとみそあんを1個づつ買った。
できたてなのか、手に載った包みが生き物のようにほんのり温かい。
家に戻ってガハクに報告する。
「みそ、ありました」
「ほーらー」

ガハクの説では、いくらみそ味が好きといっても、それ「のみ」食してもいけないとのこと。あんこと両方が必要で、先にあんこの方を食べてからみそを口にすると、「あんこもいいけど、やっぱりみそ味はおいしい」とより一層みその味が際立ち、そのうまみを再認識できるのだそう。
買ってきて2時間ほどした頃、おやつに食べてみるが・・・。
保管の仕方に問題があったのか、柏の葉がお餅にぴったりくっついて取れない。塩漬けされていたのか鈍い煎茶色をした葉っぱは、無理に引っ張ると薄紙のようにぴりぴりと細かくやぶれ、おもちが手についてしまいべたべたになる。
「桜もちじゃないから葉っぱは食べられないよね?」
あまりのはがれなさに、いっそ同時に口に入れてしまおうかとさえ思う。
先のすべすべしていた冷凍品と違って、餅の部分がずいぶん暴れている。食感など、餅というより固まっていない団子のようでもある。
こんなに食べにくいお菓子でいいものなのか。粘つく指の方が気になって、ガハクもわたしもみそ味云々を吟味するどころではなかった。

そういえばもう一軒、関西が本店の上品な和菓子屋がある。
「T堂も試してみようよ」
妙に気になり始めてかしわ餅の探求をしたくなってしまった。
午後遅くにはすでに売り切れという日を経て、別日に早めの時間にお店に足を運んでみたところ、わたしの思った通りだった。
「こしあん、しかありませんでした」
「むむ、きっと本店にはあるんだよ。みそも」
「どうでしょうね」
あらゆる可能性を想定して希望を持とうとしてくるガハクに、わたしはわざと素気なく答えた。

こちらのかしわ餅、パリッとした緑色の柏の葉の香りが豊かで、あんこをはさむように折りたたんだ形状のもちはとてもなめらかだ。中身のこしあんもちょうどよい甘さ。
大きさや餅の形などが、そうそう、かしわ餅ってこんな感じだったよね、という具合に昔食べた記憶にも近かった。

3店のかしわ餅を食べたからにはあらかた気もすんで、この件はこれで終わったと思っていたが、どうということもない時に、ガハクが不意に言ってきた。
「調べてみたんだけど、京都の和菓子屋Kさんでもかしわ餅のみそ味を作ってたよ。あんこと2種類で」
「なにー」
口調は控えめながらもガハクの表情はかなり得意げだ。京都の和菓子屋を引き合いに出されてしまっては、わたしも返す言葉がない。
みそあんかしわ餅の存在意義はゆるぎないものになった。

ガハクのみそ好き、みそ味への思い入れは相当強い。
それが一番現れているのがガハクの大好きな「焼きまんじゅう」だろう。
ことあるごとにガハクが思い出しては陶酔したようにその魅力を語る群馬の郷土食、焼きまんじゅう。
「串に刺したまんじゅうにみそダレを塗って焼いてあってね。それが何度も塗り重ねられて、焦げ目もついて、みそが本当に香ばしいの」
まだ食べたことがなかった頃、どんなにおいしいものなのかと、わたしの期待は大きく今にも飛び立つ気球くらいにふくらんでいた。
「重要なのはタレだよね。タレがたっぷり入った壷にハケをひたしてさ、こう塗るわけ。あー、いい匂い。あの壷が家にあったらいいのにって何度も思った」
いろいろと聞かされて、一体どんなものだろう、食べてみたい!とわたしも心底思ったものだった。
いざガハクの故郷で食べてみた時、おそらく自分の中で想像が育ちすぎていたのだろう、「え、これが」という状況になってしまった。まんじゅう、といってもわりとふかふかで蒸しパンに近く、その食感が気になる。

「まんじゅうじゃないし」
そこに甘じょっぱいみそダレが塗られてあぶられ、香ばしさは抜群であるが、わたしにはそこまで響いてこない。
土台になるまんじゅう部分は空気を多く含んでとても淡白なので、これはほぼみそダレを食べるための駄菓子だといえるだろうか。この取り合わせ、みその風味を楽しむことに主眼がおかれているという点では確かに計算し尽くされている。
うれしそうに味わうガハクを横に、今ひとつ楽しみきれないわたし。
どうやらわたしは甘辛いものがさほど好きでなく、みそ味に興味が持てないようだと気がついたのだった。
その後も、そんな場面に度々出くわすことになる。
わたしが子どもの頃には全然ピンとこなくて、出てくるとがっかりして食べなかった田楽についても、それを聞いたガハクからは「信じられない!」と天を仰いであきれられる。
「いや、子どもだったし」
「子どもこそ大好きでしょう、あのみそダレは!」
おばあちゃんの作った、白米のおにぎりに薄くみそを塗ったという「みそおにぎり」の思い出を語られて、「しょうゆの方がよくない?」とつい言ってしまった時も、ガハクは「みそ味の上品さを分かってない!」と憤慨してしまった。
ガハクはみそ味をはじめ、甘辛いものが好きなようで、甘露煮、カツオフレークなど、ガハクが「あれ、おいしいよね」と気持ちを共有したいときに、ことごとく「別にそれほどでも。むしろ苦手かもしれない」と返すことになり、ガハクをがっかりさせてきた。
落胆させたことは申し訳ないが、「どうして⁈」と言われてもこちらも困る。

さて、そうこうしているうち、わたしが友人から和菓子をもらった。小さな紙袋に入っていたのはかしわ餅といちご大福が1つずつ。
季節とはいえ、またかしわ餅、なんだか今年は縁がある。中身はやはりこしあんだ。
「こしあんだね」
半分に切ってガハクと分けあって食べたこのかしわ餅は、塩味が効いており、葉はきれいにはがれたが、餅は坂下の和菓子屋のタイプに似て、また違った個性を感じた。
ここまでの集計ではみそあん併存の割合5店中3店。こうして数字がでてしまうと、主流ではないものの、充分に浸透していることが見てとれる。もう逃げ道はない、みそあんが邪道と思ったわたしが間違っていた・・・と。ガハクには言わないでおこう。
「みそのすごさがようやく分かったか」とばかりにまたみそ愛について語り始めてしまうから。

■次回「ヒゲのガハクごはん帖」は2025年6月第2週に公開予定です。


●山口晃さんってどんな画家?
1969年東京都生まれ、群馬県桐生市に育つ。96年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。 2013年『ヘンな日本美術史』(祥伝社)で第12回小林秀雄賞受賞。
日本の伝統的絵画の様式を踏まえ、油絵で描く作風が特徴。都市鳥瞰図・合戦図などの絵画のみならず立体、漫画、インスタレーションなど表現方法は多岐にわたる。
主な個展に、2015年「山口晃展 前に下がる下を仰ぐ」(水戸芸術館現代美術ギャラリー、茨城)、18 年「Resonating Surfaces」(大和日英基金ジャパンハウスギャラリー、ロンドン)、23年「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」(アーティゾン美術館、東京)など国内外展示多数。
2019年 NHK大河ドラマ「いだてん 〜東京オリムピック噺〜」のオープニングタイトルバック画を担当し、22年善光寺(長野)へ《善光寺御開帳遠景圖》を奉納。

また、4月22日より東京国立博物館 表慶館にて開催の「浮世絵現代」へ出品(6月15日まで)。

山口晃 《新東都名所 東海道中「日本橋 改」》 2012年 ©︎YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery

コメントを入力してください

コメントを残すにはログインしてください。

RECOMMEND

アンゼルム・キーファーを京都で、自然光で見よ

ジャーナリスト/アーツ・プロデューサー

小崎哲哉