
美術史の豊かな知識を土台にして、当代一の画力を武器にどこにもない絵を生み出す。そんな人気画家、山口晃ガハクは夫婦揃って食いしん坊。日常で、旅で、制作中の日々で、散歩の途中で何を食べてるの? ガハクが日常を描くコミックエッセイ『すゞしろ日記』に「カミさん」として登場するガハク妻による食事帖。 ところで皆さん、今年も無事に豆撒きしましたか?
絵/山口晃
節分の夜、山口ヒゲ画伯こと夫(以下ガハク)とわたしは黙々と豆を数えていた。
一応当主であるガハクが「では今年も追儺の式を行いましょう」などと生真面目に言い放ってから、一合升に入れた豆を部屋の内外に数粒撒く。(後片付けを考慮して豪勢にはしない)

その後、食べる分の豆を卓に広げた白い紙の上に各自年齢分取り分ける、という作業に移る。
偶数でまとめて数えていき10で一区切りするという方法は、図らずもふたりとも同じであった。不安定な形状の豆をいちどきに2粒ずつ指でつまみだすのは、ほんの少しだけ器用さを要する。
その際、ガハクがかすかな声で「にーの、しーの、ろーの・・・」と口に出すのが聞こえてきて、わたしも気が散って危うく数え間違えてしまいそうになるけれど、「静かにして」と声にしてしまうと却って互いのカウントのペースが乱れるだろう。ここは平静を保ち、自分の耳にミュート機能をかけるかのようにしてひたすら集中する。
ガハクもわたしも、10個でひとグループを形成し、それを年齢の10の位に必要な分作り視覚的に数を把握する作戦だったが、それぞれの前に並んだ豆は異なる模様を描きだしていた。
ガハクは5個ずつが2つに整列して隊を成しており、短めの均等なラインが複数あって源氏香の図を彷彿とさせる。
わたしの陣地では、小さな豆の粒々はころころと動いてしまいなかなかきれいな列にはならず、10個の豆がふにゃりと並ぶ線ができ、数匹のミミズを模したナスカの地上絵があればこんな風かなといった状態で、ガハクが横目でこちらをチラりと見て鼻で笑ったように感じたのは被害妄想だろうか。

そろそろ自分達の年齢に数が近づく・・・といったところで顔を見合わせる。
「・・・足りないね」
ついにその日が来てしまった。

今年の節分用の豆は、親戚の受験生たちのために某神社にお守りを求めに行った際、授与所で見かけて入手したものだった。白い紙の袋に入っていて中身は見えず、分量は不明。手にした感覚では、市場に出回っている製品よりなんとなく少なめだ。
ありがたみのある神社の豆を撒いてしまうのも気が引けるし、撒く用として別途スーパーマーケットで1つ購入しておいたのが功を奏した。
「予備があってよかったー」
先ほど撒くために開けた世俗的な方の豆の袋から、取り出した足りない分の数はふたり合わせて20個近くに。
まあまあショッキングな数だ。
年々豆の数が増えていくにつれ、ずらりと並ぶ豆の様子がやたら壮観になっていき、いつか一袋の豆では足りなくなるのではとぼんやり懸念していたが、思いのほか早くそんな事態に直面してしまった。
そもそも、節分の豆撒きの風習をこの家に持ち込んだのはわたしであったと思われる。
かつてわたしの実家では、祖父母によって古風にポチと名付けられた柴犬を室内で飼っていた。ガハクの絵の中に、まるで自分の犬であるかのようにちょくちょく登場する、あの「ポチ」だ。
そのポチは生前、「福は内」で家の中に豆を撒くと、楽しいゲームの一種と思うのかそれにダッシュで飛びついてゆき、片端からぱくぱくと食べてしまうのだった。これは豆撒きをするたびに思い出す光景で、毎年、室内に散らばった豆を片付けながら「ポチがいたら拾って食べてくれたのにね」とついついガハクに同じことを語ってしまう。
ポチがいたのはわたしの子供時代ではなく、成人してからなので、わたしはかなりいい年まで、20代になっても節分の行事をしていたということになる。

わたしの中ではなんとなく「節分には豆撒き」が慣習化していて、その流れで実家を出てからもガハクも巻き込んで執り行うこととなり、今に至るまで続いてしまっている気がする。
こういう事はやり始めてしまうと験担ぎになってやめられなくなるという一面もある。
さて、目の前にずらっと並んだ、カサカサとした淡いベージュ色のごく薄い皮に包まれた炒り豆。一粒ずつは小さくて心もとなげだけれど、これだけ集まると順に弾丸のように飛んできそうであり迫力がある。
節分の行事をコンプリートするには、これらを食べ切らねばならない。ガハクもわたしも一瞬腕組みをして「うむ」と気合を入れてから取りかかる。
豆を次々口に入れて、ぽりぽり、かりこりといい音を響かせていると、リスやモルモットの一員になった気分だ。
それにしても食べてもなかなか終わる気配はない。

ガハクが口をもそもそとさせながら言う、
「子どもの頃は、豆がちょこんと6個くらいしかなくて、えーこれだけ、って残念がっていたけど、今はもう・・・」
わたしもガハクに同感だ。
「40代の頃はまだそれほどでもなかったよね。ふたりの豆の合計が100を超えてからじゃない? こう、つらくなってきたのは」
「数の多さもだけど、年をとって唾液が減ってきたせいかもよ。この豆、水分が全然ないし」
「そういうこと言うのやめて」
わたしはガハクの悲観的な見解を軽くいなし、ふと感じる。
「なんだか・・・おなかがいっぱいになりすぎない? 夕ごはんを食べたばかりだし」
わたしのつぶやきを聞いて、途端にガハクが心配そうになる。
「こんなに食べて大丈夫かな。豆って体内で水分を含んで、ぐぐっと膨張するんだっけ?」
何か大袈裟に怖いことを想像しているのだろうか、胃が破裂するとか。ガハクは手を止めて不安げに考え込んでいる。
「このくらい食べても平気じゃないの。豆を食べすぎると身体が膨らむとか聞いたことないし。そんな危険な食べ物だったら節分に使ったりしないよ」
わたしの返答はやや適当であったが、とりあえずガハクの心配は鎮まったようだ。
まだ、わたし達は食べ続けている。
「100歳になったら大変だね。ひとり一袋必要になりそう。第一食べきれるかな。今でさえこんななのに」
わたしが冗談まじりに言ったところ、
「今後のことなんだけど、大きさで考えて、例えばそら豆ひとつでこの豆10個分とかに換算できないかな」
ガハクは斬新な独自のルールを適用しようともくろんでいた。
「え、それは通用しないんじゃない? 全然違う豆だし」
「じゃあ、分けて食べるというのはダメなのかな。食べられなかった分は次の日にまわすということで。いちどに食べすぎて健康を損ねるのも本末転倒だしね」
「その日に食べるから意味があるのだと思うけど・・・ まあ無理なら仕方がないかもね。それでいいのか分からないけど」
わたしは曖昧に答えておく。

ガハクはそのようなことを言っておきながら、着々と食べ進んでいて豆はもうほとんど残っていない。
「まあ、節分の豆はおいしいからいいけどね。ぎゅっと噛みしめると本当に味わい深くて、噛めば噛むほど香ばしさが広がるのよ」
わたしは正直、節分の炒り大豆はパサパサして味気なく感じて、それほどおいしいとは思っていなかった。
ガハクはごく素朴な炒り大豆からおいしさの本質を見つけ、それを肯定的に拾い出して素直な気持ちで味わうことによって「おいしい」を楽しんでいる。
その姿を見て、わたしがいかにおいしいを見つけようとしていなかったかに気がついて、密かに態度を改めた。わたしは乾いた地味な豆に対し、どうせこのくらいの味の食べ物であろう、と勝手に先入観を持ち、それ以上受け入れようとしていなかったのだ。
じっくり向き合って食べてみると、噛むほどに森の奥深くへ分け入り探検しているかのように様々な香ばしさ、歯応えなどに遭遇し、ウソのない相槌が打てた。
「そうだね」

神社でない方の豆はまだ袋に残っており、ガハクが気分転換したい時、数粒適量をぽりぽりやっている。
「豆っていうのはね、おいしいものなんだよ」
ガハク、そんなに豆類が好きとは。知らなかった。
家族というものには意外とまだ知らないことがあったりする。
■次回「ヒゲのガハクごはん帖」は2025年3月第2週に公開予定です
●山口晃さんってどんな画家?
1969年東京都生まれ、群馬県桐生市に育つ。96年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。 2013年『ヘンな日本美術史』(祥伝社)で第12回小林秀雄賞受賞。
日本の伝統的絵画の様式を踏まえ、油絵で描く作風が特徴。都市鳥瞰図・合戦図などの絵画のみならず立体、漫画、インスタレーションなど表現方法は多岐にわたる。
主な個展に、2015年「山口晃展 前に下がる下を仰ぐ」(水戸芸術館現代美術ギャラリー、茨城)、18 年「Resonating Surfaces」(大和日英基金ジャパンハウスギャラリー、ロンドン)、23年「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」(アーティゾン美術館、東京)など国内外展示多数。
2019年 NHK大河ドラマ「いだてん 〜東京オリムピック噺〜」のオープニングタイトルバック画を担当し、22年善光寺(長野)へ《善光寺御開帳遠景圖》を奉納。
昨年フランスの出版社「LES ÉDITIONS DE LA CERISE」より刊行、国内流通することなく完売となった『CHRONIQUES D’UN JAPON MERVEILLEUX / とあるニッポン博覧圖』の再版が実現し、国内でも販売の運びに。スリップケース入りで大ボリューム、洗練された装丁による豪華仕様。現在、ミヅマアートギャラリーのオンラインショップにて直筆サイン入りを販売中。
https://mizumaart.theshop.jp/items/94792247

山口晃『CHRONIQUES D’UN JAPON MERVEILLEUX / とあるニッポン博覧圖』
言語|日本語 ・フランス語併記
仕様|ソフトカバー、スリップケース(函)入り、カラー 220ページ
サイズ|300 x 240 mm
テキスト|フランク・マンガン(Franck Manguin)
インタビュー|小山ブリジット(Brigitte Koyama-Richard)、フランク・マンガン
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