安原もゆる さん (株式会社asmoyu 代表取締役)

「テクノロジーとアートは通底する」を実感した会社員時代。
美しいと感じる今の自分を活かすこと。常識よりも自分の感覚に素直になろう。

1981年東京エレクトロン株式会社入社。同社のオランダ・米国・英国の現地法人立ち上げを牽引し、本社帰任後は初代コーポレートブランド推進室、CSR推進室の室長に。定年退職後にブランディング、芸術振興活動を支援する現在の会社を設立。兵庫県西宮市生まれ。


東京シティガイドクラブ・美術グループで活動中


私は現在、今年設立20周年を迎えた「NPO法人東京シティガイドクラブ」の美術グループでリーダーとして活動しています。「東京シティガイドクラブ」は、公益財団法人東京観光財団が実施している「東京シティガイド検定」の第1回検定試験に合格した有志で結成したボランティアグループです。このガイドクラブには今や1500人ほどのメンバーが所属するほどになりましたが、うち200人近くが美術グループで活動しています。主に地方からの旅行者の方々や修学旅行の皆さんに東京をご案内するガイドさんのための研修役なのですけれども、アートのテーマを軸に、あるいは旅行者の関心のあるジャンルを考慮しながら、興味を持ってもらえるよう美術館や博物館をはじめとして隠れたアートスポットなどをめぐる自分オリジナルのツアーを企画しています。何回も現地を下見をした上で独自性にこだわって毎回企画を作っています。全国通訳案内士の資格も取得して東京都に登録しています。そんな活動をしていることもあり、ご縁をいただいて『366日の東京アートめぐり』(三才ブックス)を出版しました。いわゆるガイド本なのですが、国宝や伝統工芸から現代美術、パブリックアート、ギャラリー、サブカルチャーまで、東京で楽しめる366ヶ所のアートスポットを、1日5分ほどで知っていただけるように紹介しています。2年間かけて全ての取材を自分で行い、また掲載写真もほとんど自分で撮影しました。当然、全ての場所に取材に行きましたよ。まさしくアート三昧。取材時期がコロナ禍と重なりタフでしたが、たくさんの方々とお話しできて幸せな仕事でした。本自体たいへんご好評いただいていまして嬉しい限りです。皆さんも一度手に取ってみてください(笑)。



私にとってアートとは


そもそも私にとってアートとは何なのか、どこが始まりだったのか。今回改めて振り返ってみると、中学生の時でしたか。美術の時間にクロッキー(速写)の授業で、胸像を確か3分で描けって言われまして。そもそも絵を描くことに興味もなかったしクロッキーなんて言葉の意味すら知らなかったのですが、変な雑念もなく見たままを直感でガーって描いたら、その出来栄えを先生に褒められまして。とても嬉しかったことを思いだしました。技法を身につけて上手に描くというのではなく、自分が直感で感じたままに素直に描くことへの快感みたいなものが原体験といえるでしょうか。でもその後に特に絵を描いたり美術部に入ったりということはなかったのですが(笑)。

また高校の数学の授業の時に、微分積分といった数式、記号、方程式を見て、その「カタチ」の美しさに惹かれたことも思い出しました。その数式とか記号を何度も何度もノートに書いてみて…問題を解くことよりもその形状の美しさになんともいえず惹かれまして。美しいと思うものに触れている時に感じるある種の心地よさみたいなものが心に残っていたのでしょうね。おかげさまで数学の成績はそこそこ良かったです(笑)。今思い返すと、先ほどの中学生の時のクロッキー体験とともに、何か今のアートへの想いに通じているような気がします。

大学は理科系に進みました。就職活動では当時の大手技術系企業にはなかなかご縁がなくて。ただなんとなく「東京で働きたい」ということと、幼少の頃インドとパキスタンに住んでいたこともあって「海外との仕事をしてみたい」というイメージだけ持っていました、大学も「東京」と名のつくところを選びましたしね(笑)。結果として当時はまだ社員が数百人規模だった東京エレクトロンという会社に入社しました。会社名に「東京」がついていて、海外の仕事ができるというイメージ通りでしたので。程なくアムステルダム、シリコンバレー、ロンドンで現地法人を立ち上げる仕事を担当して現地に駐在しました。

この海外駐在生活の中で本格的にアートと触れ合うことになりました。オランダでは現地法人があったアムステルダムではなく近くのマイドレヒトという小さな村に住んでいました。日本人はひと家族しかいなかったところです。この近辺には美術館が当たり前のようにたくさんありました。近所に住んでいる方も皆、幼い頃からごく日常的に美術館に行くような生活を送っています。私も日本からの出張者を連れて美術館に足繁く通うようになりました。でも最初はなんとなく、でしたね。何せフィンセント・ファン・ゴッホがオランダ人だったことを知らなかったくらいでしたし。しかしアートに触れているうちに次第に自然と触発されたのでしょうか。美術館でゆったりと過ごす時間が当たり前の生活習慣になりました。

あちらでは美術館に行くことに障害が感じられないのですよ。気軽に訪れ本当にリラックスして自分のペースでゆっくりできます。そのうちオランダだけでなくドイツやフランス、イギリス、スペインの美術館にまで足を運ぶようにもなりました。あちらに住んでいるとどこも近いですからね。私のいちばんのお気に入りはクレラー・ミュラー美術館でした。美術館のコレクションは当然ながら、周囲の環境も素晴らしくて。もう「さあ行くぞ!」って感じでよく訪れていました。オランダに駐在していたのはわずか1年くらいでしたが、その間にすっかりアートと触れ合う生活が染み付いてしまいました。その後ロンドンに3年半ほど赴任していた時も同じように、それはもう美術館や博物館には本当によく出かけていましたね。

理系の私たちがアートから学べることは?


本社帰任後、人事異動で新設のコーポレートブランド推進室長とCSR推進室長を兼任することになり、取り組まなければならないたくさんのテーマに追われながら、自社社員人材の充実した会社生活をいかに実現するかという課題に向き合っていました。私は、海外赴任時に体験したあのアートに触れる心地よい幸せな体験が理系技術者たちの思考回路に何らか良い影響を与えてくれるのではないか、普段触れないような新たな学びがあるのではないかと感じていましたので、社員にあのようなアート体験機会をどうしたら提供できるか、あれこれ模索していました。そんな時ちょうど赤坂本社の中に社員カフェテリアを作る話が持ち上がり、これだ!とひらめきまして。そのカフェの一角にアート作品を展示するギャラリーコーナーを作り、社員にアート作品に触れる機会を提供するという企画を会社に提案しました。本社オフィスにいる800人ほどの社員に、仕事でもプライベートでもない第3の時間をアートに触れることで体感してもらおうと。第3の時間というのは、業務に追われる中で、ほっと安心して心身ともにリフレッシュできる時間、そして自分自身の創造性を刺激して、直感や想像力を広げる時間としてイメージしたものです。実際にコーナーができてみると、最初は社員の反応はまちまちでしたが、定時以降にギャラリーを外部の人にも開放するレセプションを開催するなどの工夫もすると、普段なら違う部署だとなかなか話す機会がない社員たちや異業種の方々と作品を見ながら交流ができるようになり、次第に嬉しい感想を送ってくれる人も出てきました。そこで、有志の社員グループで美術館に出かけたりするなど “リベラルアーツ活動”と称した企画を小規模で実践したりもしました。会社では今でもまだ継続されているようですので、いいきっかけだったなと嬉しく思っています。

カフェ内に実際にギャラリーを導入するにあたっては、経営層を説得するためにかなりの工夫と努力をしましたよ。社長直轄の部門であったことで経営サイドと直接真剣に議論できた環境だったこともギャラリー実現の要因かもしれませんが、特にアートとテクノロジーが同居する効果について、自分の信じるところをしっかり説明しました。

海外赴任時にアートにたくさん触れる中で、アートとテクノロジーの良い関係(東京エレクトロンは半導体製造装置を作るハイテク企業なので)についてはかなり考えていました。主観や感性、感情を通して創造的であろうとする、どちらかというと拡散思考のアート。一方、実証しながら論理的にストーリーを立てていく収束思考のテクノロジー。思考スタイルに大きな違いがある別の2軸と捉えがちなのですが、私は世界の本質を探究するという目的では「アートとテクノロジーは通底している」と感じています。究極的には本質を探究する同じ道筋において、技術者・研究者は時には主観や感性に頼ったアート的な拡散思考を体感することで、課題の解決が見つからず壁にぶつかってしまった場合などは特に、創造的な刺激を得て何かを発見することができると思います。セレンディピティといってもいいかもしれません。創造的な刺激を得たエンジニアがいったんブレイクスルーを実現すると、さらにまた新しい考え方を手法として活用し始めることにつながっていく…。私自身は研究者ではなくフィールドエンジニア(実際のライン工程への組み込みローンチやメンテナンスを担当)でしたが、技術的知識は当然のこととして、非常に複雑繊細な装置の、まるでナイアガラの滝のような莫大な配線群をいかに美しく整線し機能させるかという観点も大切にして仕事にとりくんできましたから、アートとテクノロジーの関連をどこかで実感できていたのだと思います。そういえば最近は、MBA(経営学修士)に代わってMFA(芸術修士)の資格がテクノロジー企業の次世代の経営者にとって必要なものになってきているようですね。GoogleやAmazonといった企業ではMFA保有者の採用に積極的だと聞きました。



さらにアートの学びは続く


長年勤めた会社を卒業してからはasmoyuという企業を立ち上げ、ブランディングや芸術振興のさまざまなサポートをしています。また昨年、京都芸術大学の学芸員課程を修了し、キュレーターの資格をいただいた後、現在は映像制作や映画制作にも惹かれており引き続き京都芸術大学の映像クリエイターコースで勉強中です。これをきっかけに、映画制作を目指す若いクリエイターを同志としてクラウドファンディングで応援しています。かなり悩んだのですが、計画していた2024パリオリンピック観戦を思い切って諦め、貯めていた資金を学費に充てて…。はい、また勉強することにしました。いまは3ヶ月に1回のペースで訪れる課題提出のラッシュに追われています。なんとか時間を見つけては、展覧会や街中のギャラリーをふらっと訪問することも楽しんでいます。またオランダに赴任していた頃から始めたのが、有名無名にかかわらず、気に入った作品を購入することです。自分の直感で、美しいな!と思ったものを。そんなに高いものではないのですよ。家の玄関や廊下などに飾って楽しんでいます。



アート的な思考が必要になるこれからの時代


ビジネスの世界で、論理的な思考に加えてアート的な思考を身につけ実践していくことは「思考武装」することだと思っています。VUCA時代といわれるこれからを生き抜いていく特に若い人たちには「自分で考える」クセをつけて欲しいなあと。考える、といっても考える時間を長くするということではなくて、自分の好み(好き!という気持ち)を大事にする、今の自分の感覚や直感を活かす、常識よりも自分の感覚に素直になってほしいなあと思っています。「思考武装」していくのは一回やればできるものではなく、普段から習慣化させていくものです。時間はかかると思いますが続けていくことが大事。気づくと色々な気づきが出てきたり成長を感じたりすることができると思います。

インタビューを終えて…


ビジネスパーソンとして大先輩の安原さん。いくつになってもエネルギッシュなアクティブさと幅広い活躍ぶりには感心しきりでした。インタビューでお話しされていた学芸員課程の修了後に、その学びをシティガイドの新たな企画に仕立て上げてみたり、出版のための取材で知り合った各施設の方々と企画を作ってみたり。自主映画を制作したい!という新たな目標に向かって映像の勉強を始めたり、まだまだチャレンジは続いていくようです。そのアクティブさの根底には変わらずいつも、「美しい」と思う自分の素直な直感を大切に、自分の感性に素直に生きようとする安原さんの想いがしっかりと伝わってきました。【M】




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