田名網敬一《死と再生のドラマ》2019年 (4枚組) ©Keiichi Tanaami / Courtesy of NANZUKA

稀代のアーティスト・田名網敬一が、国立新美術館で開催中の個展「田名網敬一 記憶の冒険」の開幕2日後に永眠した。88歳だった。2000年代より田名網さんにはひとかたならぬ恩恵をいただき、先ごろ長時間におよぶインタビューを重ねて最新の作品集に寄稿したばかりだった。個展準備中に病床につかれたと聞き、回復を信じていたが帰らぬ人となられてしまった。そしていまも、田名網さんにもうお会いできないということを受け止めきれずにいる。多くの人々に慕われ、熱心な教育者でもあった田名網さんにとって、教鞭をとった京都芸術大学でいちばんの愛弟子だったのがアーティストの佐藤允(あたる)だ。「先生のいなくなったあと、いま僕は何度か美術館に足を運んでいて、あらためて田名網敬一に出会い直している気分でいます」と彼は語る。本稿では、佐藤允と共に展覧会を訪れて作品に向き合いながら、彼にとって偉大な師であり作家としての大先輩である田名網敬一の「記憶の冒険」について語り合う。  

「田名網敬一 記憶の冒険」 会場にて。アーティストの佐藤允

田名網敬一は、戦後日本にも花ひらいたポップ・アートの先駆的存在として1950年代より創作活動を展開した。武蔵野美術大学在学中にデザイナーとしてキャリアを始動した田名網は、1975年より日本版月刊『PLAYBOY』(集英社)の初代アートディレクターを務め、若くしてグラフィック界の賞を総なめにしたことでも知られる。
一方で、デザインの仕事で培った独自の技法を駆使したシグニチャーともいえる多層的で眩惑的なペインティングをはじめ、コラージュ、アニメーション、実験映像、立体作品まで、現代美術史に名を刻むべき特異な作品を世に送り続けた。欧米主導のメインストリームに対し、その地下鉱脈ともいえるとびきりアンダーグラウンドな界隈を牽引する田名網の勢いは晩年もなお加速するばかりだった。

世界初の大規模回顧展となる本展は、田名網にとって最も重要なモチベーションである「記憶」をキーワードにその半世紀以上にわたる創作活動の全貌を明らかにしようとする。
導入部の新作インスタレーション《百橋図》に眩惑されながら、私たちは第1章「NO MORE WAR」の展示室に足を踏み入れた。ここではアメリカのポップアートやサイケデリックカルチャーの影響を受けつつ、1960年代より田名網が着手したポップ・アート黎明期の作品群が一堂に集められている。

田名網敬一 《NO MORE WAR》 1967年 タグチアートコレクション蔵 ©Keiichi Tanaami / Courtesy of NANZUKA

さらに第2章では、1969年に出版されたアーティストブック『虚像未来図鑑』や日本版月刊『PLAYBOY』、1970年代のコラージュ作品を振り返る。
いずれの展示作品も、60年近い年月を経ているとは思えない鮮やかな発色、精密かつ大胆にカットアップされたコラージュにあらためて驚愕させられる。田名網のアトリエには、いつでも取り出して新作に応用することができるように、膨大なアーカイブがうず高く積み上げられていたが、外に出す機会がなかったことで劣化や散逸を防ぐことができたのだろう。

「田名網敬一 記憶の冒険」国立新美術館 2024年 展示風景 撮影:山本倫子 ©Keiichi Tanaami / Courtesy of NANZUKA

佐藤 田名網先生のコラージュはこれまでの展覧会でもみてきたけれど、毎回その発想に驚かされます。ひとつのピースが消失したらすべてが狂ってしまうような綿密な画面構成。全部、自分の手でハサミを使ってカットしているんです。描かれた線のギリギリで切っていますが、先生にとって切ることと描くことはほぼ同じ行為で、自分の描いた絵をまた描くようにカットしていたんだなと思います。キャンバスを切るのですごく手が痛くなるはずですが、先生は大型作品でも自分の身体を使って制作していました。繊細さと大胆さがあり、糊の貼り方もきれいで、ラインストーンを置くときの下地の接着剤の筆跡までも美しいです。華奢な体格だけれど、切る力や筆圧がおそろしく強いのをいまみていてあらためて理解しました。

第3章「アニメーション」では、60~70年代の映像作品に焦点を当て、膨大な原画の展示と共に、貴重なフィルム作品のデジタルリマスター版が上映されている。手描きアニメーションのタッチに生命が吹き込まれ、この時代のカウンターカルチャーが持つ自由と反骨の精神を謳歌する傑作選だ。

佐藤 田名網先生はよく、どんな絵も次の瞬間から動き出すシーンが頭に浮かぶとおっしゃっていました。先生は何もかも、自分の記憶さえも、アニメーションのように動かしてしまうんです。

田名網敬一 《Good-by Marilyn》 1971年 16ミリフィルム(デジタル版)/4分23秒 制作・アニメーション:田名網敬一、歌:平山三紀「真夏の出来事」 ©Keiichi Tanaami / Courtesy of NANZUKA

第4章「人工の楽園」では、81年に結核で入院し生死の境を彷徨った体験をもとに、薬の副作用で見た幻覚のイメージが奇想に満ちた作品へと変容していった頃の作品を総覧する。情報量も物量も過剰だが、何しろ1点1点の強度が凄い。なかでも無限に増殖する幻覚を積み木のような立体作品として具現化した作品群は、なんともいえない不条理感に襲われてつい笑ってしまう。

「田名網敬一 記憶の冒険」国立新美術館 2024年 展示風景 撮影:山本倫子 ©Keiichi Tanaami / Courtesy of NANZUKA

また、第5章「記憶をたどる旅」では、自らの記憶や幻夢を狂おしいまでに執拗に描き出し、芸術へと昇華させていった90年代以降のダークなドローイング作品が展示されている。これらの時代を経て、田名網の作品に繰り返し出現する生き物たち(金魚、亀、雄鶏など)はその世界観を象徴するアイコンとして確立されていった。

佐藤 戦争中疎開先の新潟で、ラジオで空襲警報が流れると鶏たちが大騒ぎになって、鶏冠(とさか)が真っ赤に燃えているように見えたという記憶を先生は繰り返し描いています。赤い鶏冠はまるで焼け(ただ)れた皮膚のようにも見えます。幼少期に残酷な遊びを好むことはよくありますが、先生も幼少期に金魚を握りつぶしたり、小さな生き物を殺したときの手の感覚を生々しく記憶していると話していました。その質感の記憶に執着して、モチーフの形を変えながら反復させていく感じ、田名網先生ならではの凄みがあります。

田名網の作品には、空襲警報の灯火に照らされた赤い金魚や防火用水の中に見えた亀の幻影、あるいはおもちゃのようにデフォルメされた戦闘機の機影といった、戦争体験に基づくと自身が認めるモチーフが度々登場する。だがそれらは反戦思想や平和のメッセージといった姿勢に短絡的に接続するものとは限らない。田名網自身が常に語っていたように、人生に起きた無数の体験のひとコマは、長い年月を経てさらに好みの形に変容し、鮮やかに塗り替えられていくからだ。

佐藤 先生はメディアの取材や著書の中で、戦争のことを何度も話していますが、それがそのまま絵のなかに反映されている、と捉えるのは単純過ぎる気がします。先生が出演されたラジオのインタビューをむかし聞いたとき、戦争中の危機的状態でも、楽しいことがあった、と言っていました。いろんな感情がごちゃごちゃになって生きていたのは、先生だけではない、当時の子供みんなにあった感覚かもしれません。美しさや残酷さの記憶ってこびりつくものじゃないですか。

田名網敬一 《金魚》 1982年 ©Keiichi Tanaami / Courtesy of NANZUKA

第10章「(ばく)の札」に展示されたマルチモニターの映像インスタレーションの入り口に、「DO NOT BOMB」と書かれた金魚の絵のポスターが展示されている。また、その展示室内の上空には、漫画のような丸っこい戦闘機のオブジェがなぜか機体の腹を空に向ける形で逆さまに設置されている。作家亡き後、これらの作品に表現された田名網独自の戦争をめぐる解釈は謎に包まれたままだ。

佐藤 先生は以前、戦闘機のモチーフにはノスタルジーをこめていると話していたことがあります。でも僕は、未来を見ているようで怖い、と思っています。反戦メッセージに見えるこのポスターもいくつかのバージョンがあるようですが、金魚は爆弾を落とす側を表現しているのか、口角を上げて微笑んでいるように見えるものがあるんです。反戦ポスターの奥の部屋には、おもちゃのB29がさかさまに浮かんでいますが、これがなにをあらわしているのか? 僕はいまだにここにくるたびに考えたりもするし、あと先生の頭のなかに入っているような気もして、少し安心してくる気持ちもあります。不思議です

「田名網敬一 記憶の冒険」国立新美術館 2024年 展示風景 撮影:山本倫子 ©Keiichi Tanaami / Courtesy of NANZUKA

一方で、田名網の天才的な奇想がまさかの土壇場で爆裂したのが、第7章「アルチンボルドの迷宮」である。16世紀マニエリスムを代表する画家アルチンボルドに触発された同名の新作は、本展の準備がすでに佳境に入っていた時期に突然思いつき、急きょ展示が決まったという。

「田名網敬一 記憶の冒険」国立新美術館 2024年 展示風景 撮影:山本倫子 ©Keiichi Tanaami / Courtesy of NANZUKA

佐藤 先生はいつも思いもよらない奇妙な発想で人を驚かせたいと考えていました。常に想像をめぐらせていて、奇想が自然に頭に浮かんでしまう人ですよね。この数年は山ほど作りたいものがあって、夜も寝る直前まで描いていたようです。先生は昨年あたりから<畳みかける>という言葉を繰り返し使うようになりました。僕はよく先生と何時間も長電話をして、絵の描き方ばかりか物事の考え方、生活のあり方まで指導していただきましたが、先生と電話していると、どんどん話が加速して壮大になっていくんです。僕が弱音を吐くと「芸術の神様に怒られるよ君」って、迫真というか狂気の世界に入っていたのかもしれない。深刻ぶることが嫌いで、穏やかそうでしたが、先生は覚悟を決めて日々魂を燃やしてこの展覧会に人生を賭けていたと思います。

田名網敬一 《森の掟》 2024年 ©Keiichi Tanaami / Courtesy of NANZUKA

佐藤の話を聞きながら思い出していたのは、田名網が10代の頃の壮絶なエピソードだ。息子が父のような放蕩者になることを恐れた母は、田名網が絵を描くことに大人になっても反対し続けた。あるとき赤い絵の具を買ってほしいとねだったが拒絶された彼は、ぷいと家を出て、自分の血を売ったお金で赤い絵の具を買ってきたという。
田名網敬一の芸術とは、身体よりももっと高次元の、魂の大問題だったのだろう。足の踏み場もないアトリエで自身のあらゆる創作の中に深く潜り、脳内の永久機関がとめどなく「記憶」を動かし変容させる。私たちの誰もが一人ひとり克服しなければならない愚かさや残酷さ、禁忌や快楽を抱えるこの苛烈な世界で、田名網にとっては「記憶」を繰り返し語り続けることがその方法論にほかならない。

佐藤 それが先生なりの切り抜け方だったんでしょうね。先生はいつも「人生は雑誌。ヒエラルキーなどない。全てがおもしろい」と話していました。先生の個人的な戦争体験に絵の全てを結びつけるのは、解釈をせばめてしまってもったいないと思っています。田名網敬一の絵の魅力、情熱、奇想は、戦争だけでくくれません。いろんな視点でみることができる作品だと思います。田名網敬一のいちファンとして、この展覧会が開かれていて嬉しいです。

「田名網敬一 記憶の冒険」国立新美術館 2024年 展示風景 撮影:山本倫子 ©Keiichi Tanaami / Courtesy of NANZUKA

「面白い。これは本当に面白いね」
表情ひとつ変えず、そう言い放つ田名網さんのいつもの声が聞こえるようだ。

「パラヴェンティ:田名網敬一」プラダ青山店、東京、2023年 ©Keiichi Tanaami / Courtesy of NANZUKA

田名網敬一 記憶の冒険

会期|2024年8月7日(水) – 11月11日(月)
会場|国立新美術館 企画展示室1E
開館時間|10:00 – 18:00[金・土曜日は10:00 – 20:00]入場は閉館の30分前まで
休館日|火曜日
お問い合わせ|050-5541-8600(ハローダイヤル)

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