美術史の豊かな知識を土台にして、当代一の画力を武器にどこにもない絵を生み出す。そんな人気画家、山口晃ガハクは夫婦揃って食いしん坊。日常で、旅で、制作中の日々で、散歩の途中で何を食べてるの? ガハクが日常を描くコミックエッセイ『すゞしろ日記』に「カミさん」として登場するガハク妻による食事帖。 食にも期せずして出会う悦びあり。そば好きガハクが京都で……
絵/山口晃
そば好きと推察されがちな山口ヒゲ画伯こと夫(以下ガハク)、ご想像の通りやはり好きなのであった。
ガハクの育った上州は郷土料理の「ひもかわ」など、うどんの方が優勢な印象だが、そばの栽培もされており両方が同じくらいに浸透している土地柄だそう。
近所にうどん・そば両方を出す食堂のような店がいくつかあって、ガハクは子供の頃から選ぶとしたらそばの方だったとのこと。その頃からそば好きになる片鱗があったのか、ガハクのお母さんがうどんをあまりお好きでなかったことに影響されたのかは分からない。
大衆食堂のようなところでは、そばもつゆも業務用っぽく大味で、取り立てて感動はなかったものの、小学校高学年くらいの時、新しく出来たそば屋に連れられて行って食べた「磯切りそば」のおいしさに感激したことが原点になっているようだ。
海苔が練り込まれたそのそばは、透明感があり緑色がかっていてとてもきれいで、これまでと違う繊細な味わいに驚いたとのこと。
また、そのお店のお手洗いが坪庭的なしつらえで非常にガハク好みだったそうで、それも楽しみのひとつであった、という思い出話をわたしは何度か聞かされた。
対するわたしは生まれも育ちも神奈川県なのでガハクと同じ関東文化圏に属する。さらに母が長野県出身であるにも関わらず、そばはほとんど食べた記憶がなく、どちらかというとうどんが多かった。
長野といえばそばどころの上位に挙がるのに、わたしの母はなぜにそばと疎遠なのか、気になって聞いてみたことがあるけれど、考えたこともないせいか「どうしてかしらねえ」とまるで見当もつかない様子。母のいた木曽地域は岐阜や愛知寄りというせいなのか、そば自体さほど食されなかったようだった。そうめんやひやむぎは産地ではないがよく食べた記憶があるとのこと。
「ああそういえば」と急に思い返したように母が言うには、そば粉をお湯でといて団子のようにしてお汁に入れて食べたことはごく稀にあった、とのことで身近な食材ではなかったようだ。
話は戻って、母と同じくそばには淡白だったわたしが積極的にそばを選択するようになったのは、ガハクと外食をするようになってからかもしれない。
お酒と共にいろいろつまんでから、最後に冷たいそばでキュッと締めるというのは最高に楽しいものだ。そば自体ももちろんおいしいが、わたしの本当の目的はお酒と肴なのかもしれない。
さて、先頃ガハクが所用で京都に3泊4日の旅に出ることになり、わたしもそれに(一応仕事として)同行した。
改めて言うまでもなく、京都の夏は暑い。東京も常にもわもわと湿気ってすっきりしないが、ここでは脳内の温度と吸い込む空気の温度が体感的にイコールで、呼吸がちゃんと出来ているかどうかがよく分からなくなる。
滞在中のアジェンダは飛び飛びに設定されていて、自由時間もそれなりにあったのだが、この気温では「ちょっとお出かけ」の気分にとてもなれない。フリー時間の昼食に関しても、食欲もあまり出ないし移動も面倒、場所を探すのにもすっかり億劫になってしまっていた。
クライアント氏が、軽くお食事されるようでしたら宿の近くにおそば屋さんがありますよ、と薦めてくださっていたこともあり、普段なら京都で「そば」を選択する確率はほぼないに等しいわたしたちだが、楽さ優先でそこへ行ってみることにした。
旅館の受付で近くにあるおそば屋さんはどこなのか聞いてみると、「K屋さんのことでしょうかねぇ」(←実際は京都弁で話されています)と道順を教えてくれた。
一本隣の道のすぐ先で近い。けれどまとわりついてくる暑さに、5分もしないはずの道のりがもうこれ以上無理と思ってしまうほどにつらい。くじけそうになりながら言われた通りの道を進むにつれ、あれ、もしかして知っている所かも、と気がついた。
街中にあるゆえ何度も前を通ったことがあり、古くて風情のある店構えだなと思って気に留めてはいた。
「ここのことだったんだ。まさか来ることになろうとは」
とわたしが言うと、
「一度は行ってみたいと思ってたよ。なんだか建物がいいじゃない」
ガハクが意外にもそんなことを言ったので、これはよい機会になった。
いざ門をくぐると、薄暗い前庭にすでに3〜4組のお客が並んでいる。
「混んでる・・・」
この店に人が並んでいるところなど見たことがなかったけれど、時間的なのか観光シーズンの時期的なものなのか。
そばだから回転も早いだろうし、他を探すのも疲れるので炎天下の中、そのまま列の後ろについた。日傘をさして扇子をぱたぱたと、おなじみのガハクスタイルでじっと待つが、席数が少ないのか配膳が遅いのか、店を出てくるお客が数人いたのにほぼ動きがない。
結構待たされること30分。突然引き戸がカラカラと開き、ここは中華街か? という、愛想無用の超合理的な客あしらいをするお姉さんが一気に数組を入店させ、2階の方へ行くように促した。
奥へ向かう際に横目で見た1階小上がりは3組しか使えないくらい狭い。
店の構造と采配ルールがよく分からないと思いながら、靴を脱いで古い階段を上がっていくと、がらんと広い部屋に10卓ほどのテーブル席が用意されていた。
改装したらしく新しい建材が使われており、ダークな色の木の家具に、所々障子もはめられ落ち着いた感じはあるが、外観の渋さに比べると少々肩透かしをくらう。
まず一杯やってくつろぎたいところだけれど、時間的にも夜の食事に響きそうなので、ここはおとなしく単品をオーダーするのが賢明だろう。ガハクは「ビールならいいかな」と未練がましくつぶやいているが、我々の年代になると胃袋にもリミットがあるからここは現実的にならねばならぬ。
ガハクは大好きな天ぷらそばと迷った末、夕飯とかぶってしまうから次点の「鴨せいろ」に決める。わたしは季節ものとして貼り出されていた「にしんざる」(ざるそばに、ニシンの煮付けが別皿で添えられる)を、迷った末に期間限定の茶そばの方で。
「茶そばの季節、とメニューでもアピールされているし、いいよね。こっちで」
磯切りを気に入っていたガハクだが、茶そばのことを邪道視しているのを知っているので、なんとなくガハクのご機嫌をうかがってしまう。
「あなたが食べるんだから好きにしたら」
大抵いいものとして提示される茶そばに関して、実はわたしにも多少クエスチョンがあるけれど、京都の茶そばというと心ひかれるものがある。
ちなみに全品がそばかうどん、どちらも選択できて茶そばにも変更可であった。
この、取り立てて特徴のない数寄家でも町家でもない造りの2階席の部屋は、アルバイトの大学生らしき、完璧な関東アクセントで丁寧に接客するお兄さんが注文と配膳を仕切るので、ここは本当に京都だっけ? とバグを起こしながらも、一体どんなおそばが出てくるか、不安もありつつ期待はふくらむ。
しばらくして、ついに目の前にでんと置かれたおそばに目を見張る。
なじみのない四角く深いザルに入った、ひやむぎを思わせるぶりぶりと太さのあるそば。特にわたしの方は茶そばなので、翡翠のような緑色をした、うねうねとしたかたまりはインパクト大だ。
どきどきしながら早速食べてみる。
「こ、これは・・・」
一口でこれまで経験したことのない食感にふたりとも驚く。
つるつると形容できる通常のそばと違って、もちもち・・・よりもむちむちとした感じで柔らかい。見た目のぼよんとした様子は伸びてしまったそばにも似るが、この柔らかさはふっくら内側から生まれていてとても弾力がある。
そして長い。なぜかずるりと長い。食べていると「あれれれ?」といつになったら途切れるのか困惑してしまう。
なお、わたしの茶そばは、気分的なものかもしれないけれど、かつてなくお茶の風味が強すぎず弱すぎず程よいものであった。
濃い色をしたつゆがまた特徴的で、かすかに甘みがある。
「つゆが甘くて面白い味だね」
と私が感想をもらしたが、ガハクの鴨入りのつゆはもっと鮮烈だったようだ。
「甘さも感じるけど、とにかくつゆがすごく香ばしい。なんでだろう、焼いた鴨の炭っぽさが溶け込んでいるのかな」
ガハクは非常に感激している。わたしもひと口味見をさせてもらったが、このつゆでそばをすすると、口に入れていないはずの鴨肉も一緒に食しているような錯覚を覚えるほどのロースト感があった。
「これは今まで食べた鴨せいろの中で一番うまい!」
ガハクが言うには、鴨せいろは鴨の出汁が出るのでおいしくて当然な食べ物ののひとつだが、いつもどこかつゆに生臭さを感じてしまっていたそうなのだ。しかしここK屋の鴨せいろは全然違い、鴨のポテンシャルが最大限に引き出されていて素晴らしいと感嘆する。
さすが京都、鴨という食材の特性が完全に会得されている、と恐れ入る。
ついでのようになってしまうが、わたしがおそばと一緒に食べたニシンの棒煮。味付けは濃すぎず薄すぎず目立たずで、素材に何事も起こっていないかのように見せかける自然さが、むしろすごいのかも、という気がした。
この個性的な食感のそばに意表をつかれたお客さんは他にもいたようで、店員さんにそばについて質問をしている人がいた、とガハクが後から教えてくれた。
聞き耳を立てるでもなく聞いたことには、そばには山芋を練り込んであるゆえこの独特のコシが出せるのだとか。ガハクも食べることに夢中でちょっとうろ覚えだそうなのだが、そば粉の割合は4:6か3:7だったかで、とにかくよくある2:8ではなかったとのことだ。あのちょっとない感じは、このような製法でできあがっていた。
強烈なそば体験をしたことと、またしても暑さに屈したため、翌日のお昼、東京に帰る前の食事も、
「K屋に行こうか」
ということに。お昼時をかなりずらしたのに今日も行列している。ほどほど待った末に、一階の小上がりに通された。この場所は古く趣はあるけれど、足を折りたたんで座るのが窮屈だ。
ガハクが迷わず注文したのは再び「鴨せいろ」。
また出た、ガハクのものぐさワンパターン注文。
わたしは昨日とは別の季節メニュー、「みぞれそば」とやらを今度は茶そばではなく普通のそばでお願いする。説明書きには鶏の山椒焼に大根おろしとあり、いざ出されると、ぶっかけの状態でそばの上に具材が載っていて、おいしくいただいた。
連続のK屋通いで本日もガハクは鴨せいろのつゆに満足し、食べ終えてから宿に荷物を取りに戻った。
「この時間でも混んでたんですけど、K屋さんって有名なお店なんですか?」
わたしが旅行バッグを受け取りながら、係の人に何気なく聞いてみると、
「どうでしょう。この辺りは食べるところもそんなにないですし、今の時期は観光のお客さんも多いですからね」(←実際は京都弁です)
とのことだった。
お世話になりました、と挨拶をして宿を後にする。
うちに帰って、何とはなしに京都で行ったおそば屋のことを検索してみる・・・と。
海外の著名人たちも訪れたという結構な有名店であったことが判明。
なるほど、そういう訳だったのか。なんとなくさまざまなことが今さらになって理解できてくる。
それにしても京都の宿の方の返答には「らしさ」をつくづく感じた。あそこは有名で誰それさんも来たんですよ、などと言ってしまうとやはり品がなくなってしまうだろうから。
思い出すと他に類のないK屋のおそばがまた食べたくなってくる。ひとまずそば心を落ち着けようと、地元の行きつけのおそば屋へと久しぶりにガハクと出かけてみることにした。
それでは、行ってまいります。
■次回「ヒゲのガハクごはん帖」は10月第2週に公開予定です。
●山口晃さんってどんな画家?
1969年東京都生まれ、群馬県桐生市に育つ。96年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。 2013年『ヘンな日本美術史』(祥伝社)で第12回小林秀雄賞受賞。
日本の伝統的絵画の様式を踏まえ、油絵で描く作風が特徴。都市鳥瞰図・合戦図などの絵画のみならず立体、漫画、インスタレーションなど表現方法は多岐にわたる。
主な個展に、2015年「山口晃展 前に下がる下を仰ぐ」(水戸芸術館現代美術ギャラリー、茨城)、18 年「Resonating Surfaces」(大和日英基金ジャパンハウスギャラリー、ロンドン)、23年「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」(アーティゾン美術館、東京)など国内外展示多数。
2019年 NHK大河ドラマ「いだてん 〜東京オリムピック噺〜」のオープニングタイトルバック画を担当し、22年善光寺(長野)へ《善光寺御開帳遠景圖》を奉納。
高島屋史料館(大阪)で開催中の「DESIGN MANIA~百貨店・SCのデザイン~」へ出品。
会期|2024年9月7日(土) – 12月23日(月)
山口晃《日本橋南詰盛況乃圖》は第Ⅰ部(10/28まで)のみの展示
会場|高島屋史料館 企画展示室(大阪・なんば)
https://www.takashimaya.co.jp/shiryokan/exhibition/
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