日髙 千絵 さん(ブランディングプロデューサー)
仕事かプライベートか、なんて考えたことがありません。
だって私がやりたいことの全てが私の人生なんです。
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あまり公的に話したことはないのですが、私のキャリアスタートは国立がん研究センター研究所で、英文医学雑誌の編集でした。元々はジャーナリスト志望だった私がどうしてこのスタートだったのかを問われると説明しづらいのですが、最先端の医療研究分野での経験はその後化粧品会社に転職した時にスキンケア製品やサプリメントの企画開発に生かせました。最初の会社を退社後にいくつかの外資系企業で日本発の商品のプロダクトマーケティング業務に携わったり、カタログ主体だった時代のダイレクトマーケティングからデジタルを使ったデジタルマーケティングまで担当したり、時にはTVを使ったマーケティング発信としての番組制作なども経験しましたが、まずはやってみよう精神で新しいチャレンジを求めてきました。はたから見るとあまりに一貫性がないキャリアとも思われがちなので、呆れられてもしょうがないかもしれませんね。
ただそんな私が明確にお伝えできるのが、どんな会社や役割で仕事をしていた時も、全て人生の岐路にあった時のキャリア選択は「50%は今までのキャリアが活用できること、そして残りの50%は新しいチャレンジがあること」だったということです。それまでの会社と同じことをしていては、新しいことを吸収できないし、新しい場に行くのであれば自分が知っていること、できることだけなんて勿体無い。だからこその「50%のチャレンジ」をあえて選択してきたのです。前述したように、新しいチャレンジが好きなのだと思います。
私の思考はいかに育まれたのか
こんな私の性格、というか思考がどう育まれたのかについて少し考えてみたのですが、振り返ると幼少期まで遡りました。私の両親は極端に異なる性格で父は芸術家肌、母はビジネスな人。私の仕事でのスタイルはどちらかといえば、母のビジネスマインドに強く影響を受けていたように思いますが、プライベートな側面は趣味人だった父から受け継いだような気がします。
父は本当に多趣味な人で、芸術を愛し、イラストを描いたりクラシックを聴いたり、そして何よりよく映画を観る人でした。それも多くが洋画で、子供時代から私も一緒にその世界にはまっていったと記憶しています。今でも毎週映画を必ず一本は観ているのもここに起因しているのかもしれませんね。芸術、音楽、ファッションなど映画からは様々な刺激を受けます。
さらに私自身としては、実家が関西の小都市だったのでなかなか芸術的な刺激に直接触れる機会が多くなかったこともあって、中学生の頃から京都や神戸まで美術館を訪れたりもしていました。習い事もバイオリンとバレエ、アトリエでの油絵。気がつけば、私の日常にはアートが意識することなくそばにあったのかもしれません。そしてそれを見守ってくれていたのは父でした。
ビジネスの世界に入ってからもこの「すぐそばにアートがある」という意識は変わっていません。私の中では、「そもそもビジネスはサイエンスとアートの両輪がないと進まない」ものだと兼ねてより思っていました。経営レベルとしての戦略やマーケティング、実務レベルでいうならROI(投資収益率)やKPI(重要達成度指標)などは、ややもすると公式があってサイエンスで成功に導けると思いがちなものですが、それだけでは足りないものがあり、それを支えるのがアート思考ではないでしょうか。
例えばあるプロダクトをアーティストとコラボレーションする企画の時にデザイン含めやり取りをするには、その人たちの思考や言語を理解することが必要となるでしょう。また新商品の開発アイデアだったり、店頭をどう見せるかといったことだったりを含め、サイエンスだけでは答えを導くことができない。アートという言葉はセンスや感覚論と思われがちですが、そうではなく本人の想いやモチベーションの高さ、そして何よりも共感力といったものが含まれているのではないかと私は思います。
仕事かプライベートか もちろんどちらも私の人生です
企業勤務時代の私のルーティーンは、朝8時前には会社に到着して自分自身で対応できることは早めに終わらせ、昼食はデスクで軽くすませ、午後からはミーティング時間として確保し業務をこなした上で退勤。こうして生まれた時間で会社の外の人と会ったり、舞台や美術館、映画館に行く、というものです。もちろん自分の後輩や部下たちにも、早めに帰宅して色々な経験をしなさいと伝えてきました。
そしてフリーランスとして活動している今も実はこの時間の使い方は変わりません。週に一度のバレエのレッスンに加えて映画も毎週観に行きます。読書も欠かせません。その合間に声楽のレッスンや観劇、美術館にも訪問します。2月は奈良美智氏の展覧会を観に青森県立美術館を訪れましたし、4月は京セラ美術館で開催中の村上隆氏の展覧会を観に行ってきました。そうそう、来月はアルヴァ・アアルトの建築を訪ねる旅をする予定もあります(笑)。もちろん美味しいものが大好きなので、友人たちとの食事にも行きます。
「一体どこにそんな時間があるの?」とよく聞かれるのですが、私にとっては日常のこと。いろいろなことを実際に見て、体験してみる、これは幼少時代から変わりません。そして、そんな多くの経験の積み重ねが私自身の大きなパワーであり価値となっていると思うのです。
シナプス(神経細胞が接触する部位)ってご存知ですか? これまでに体験してきた、見てきた、読んできたものの蓄積ボックスが、何かのプロジェクトが生じた時にピピピピってシナプスのように繋がるイメージです。一つ一つが全く異なる経験だったはずなのに、新たなチャレンジの時にそれが不思議と繋がり始めることをこれまで何度も経験してきました。そういう意味では、この蓄積ボックスのもとになっているものは、私にとって仕事とプライベートの区分けがなく、全てが同じところに貯まっていっているって感じでしょうか。仕事も大切、プライベートも大切。どちらも100%やりたいことであって頑張って楽しんで取り組んできたものです。だからここの全ての相互作用によって多くの経験を重ねてきたことが、今の私を創り出してくれた宝箱とも言えるでしょう。
やり切る力
現在もマーケティングメンバーの若い年代の人たちと仕事をご一緒させていただいていますが、正直本当に優秀だと思います。とても真面目だし、要領がいい。「こんな参考資料があるよ」と言ったら、しっかり勉強して知識を身につけてくる。重ねて言いますが、本当に優秀な人たちが多いと思います。
ただその一方で、タイパ(タイムパフォーマンス)を重視しているあまりに、少し効率論に囚われているのではないかな、と思ったりする時もあるのは事実です。例えば、入社3ヶ月もしないのに「自分にはこの会社が合わない」と退社してしまう人が多いという報道もよく目にしますが、これって正直勿体無いな、と私は思うのです。若い皆さんは無駄が嫌いというけれど、自分らしさを見つけるために、実はその無駄が必要なこともあるのではないでしょうか? 自分自身について振り返っても、大学を卒業したばかりの時は先にお伝えしたようにジャーナリスト志望だったので、まさか今のような人生を歩むとは思っていませんでした。走りながらどんどん自分自身の背骨みたいなものが固まってきた気がするんですよね。
あとは、もう一つ大切だなって思うことは何か違うと思っても、まずはやり切るってこと。私は年間200冊ほど本を読むのですが、時に「失敗した、面白くない」と感じる本もあるのは事実です。だけど、そこで投げ出さずに、頑張って読み切ります。まさにタイパ発想でいくと無駄と切り捨てる読書時間かもしれませんが、実はこの無駄な知識(その時に必要がないという意味)が、思わぬところで役立ったりするものです。どんなことも無駄はない。先ほどお伝えした自分の蓄積ボックスに何もかも入れてみるのが目標でもいいのではないでしょうか。
やりたいことは “今” スタートする
「何がしたいのかわからない」、「やりたいことがわからない」、そんな相談もよく受けてきました。少し強い言葉かもしれませんが、若い頃はわからなくて当たり前だと考えたらいいと思います。そこで悩んで立ち止まってしまうのであれば、興味が持てそうなものやことにまずは足を一歩踏み出してみると多くの体験が複数重なってきた時に、なんとなくでも似通ったことに興味を持っている自分に気づくはずです。また遠くの目標ではなく近くの目標を立てたらいいとも思います。少しずつその目標を越えていくうちに、これもまた点だったものが線になってきている自分を発見できると思いますよ。
もし何か気になることがあった時にやるべきこと、やりたいことをどんどん始めること、すぐ動くことに価値があると私は思っていますが、それは今の若い世代の「タイパ」発想とはかなり違うかもしれません。体験を効率よく終了させて少しずつの時間をマネジメントするというのではなくて、体験全てを丸ごと経験する時間をどう作り出すか、自分自身の24時間にいろんなバリエーションを入れ込んでマネジメントするということ。好奇心が止まることを知らない私だからこそのタイムマネジメントなのかもしれませんね。
● インタビューを終えて…
なんというスケジュール! かつ、どうやってこんなにもエネルギッシュな日々を過ごしているのだろうと、その行動力と興味関心の幅広さに感動すら覚えるインタビュー時間でした。趣味だとお話しされていたオペラも、国内外での観劇は当然のことながら、ご自身の歌い手としてのデビューはイタリアの劇場だったとか、そこからアリアを歌うだけに留まらず、オペラ仲間と合唱を始めてみたとか。1アイテムから派生したものまで楽しんでいらっしゃることに驚かされながらも、こちらまで楽しい気分にさせていただきました。“静“ か “動” かでいうと、間違いなく動的なエネルギーを放っている人だと思いながら、そういえば彼女が選択しているものは “動的なアート” が多いと感じたのは私だけでしょうか。【M】