佐伯祐三 《郵便配達夫》 1928年 大阪中之島美術館蔵

もしも次にパリに行くなら、いや初めて行く人にも言うことにしよう。佐伯祐三の絵を見てから行こうってね。崩れかかった煉瓦や汚れきった壁や幾重にも重ねて貼られたポスター、そんなものを見て、ああ、この街、って感じられるから。パリを描き、パリで死んだ佐伯祐三の展覧会が東京で始まった。そのあと、大阪に巡回。

佐伯祐三展を観るために〈東京ステーションギャラリー〉に行った。展示が始まってしばらく経っているし、会期の残りも充分にある。なので混雑をまったく予想していなかった平日の午前だったのだが、館内には思っていたよりもたくさんの人がいて、佐伯祐三の人気の高さがうかがい知れる。

エレベーターで3階に上がり会場に入る。最初に目に飛び込んできたのは《立てる自画像》という絵だった。顔のない自画像。イースタンユースというバンドのCDジャケット『旅路ニ季節ガ燃エ落チル』に使われていたもので、ぼくはそれを雑誌か何かで見かけたのだが、強烈なインパクトを感じてしまい、作者の名前を頭に刻んだ。このアルバムの発売は1998年だから、そこで初めて知ったわけではないはずだけど、たぶん、その頃はまだ興味もなく、荻須高徳と佐伯祐三の区別もついていなかったと思う。

佐伯祐三 《立てる自画像》 1924年 大阪中之島美術館蔵

佐伯祐三といえばパリだ。パリというよりも、街中の建物の壁に貼られたポスターだ。それがぼくの求めているもののすべてなのだということが、今回の展示を観て、つまりパリ以外の場所の風景画や室内で描かれた静物画、あるいは文字のないパリの風景画によって、はっきりと自覚できた。絵画の中の文字、いや文字によって強く印象に焼きつく絵。

佐伯祐三 《ガス灯と広告》 1927年 東京国立近代美術館蔵

その文字の魅力にとらわれてしまった画家は、ぼくにとっては佐野繁次郎のほうが先だった。銀座のタウン誌『銀座百点』の表紙、代官山にあったレンガ屋の包み紙、銀座のセントメリーフジヤマという靴屋の看板などを生み出した佐野繁次郎の絵を実際に観た最初の経験は、まさにここ〈東京ステーションギャラリー〉だった。2005年の春のことだ。そしてその2年後に〈神奈川県立近代美術館〉で「パリのエスプリ 佐伯祐三と佐野繁次郎展」を観て、このふたりの関係を知った。

佐野繁次郎装丁
左|辻静雄著『パリの料亭(れすとらん)』
右|辻静雄著『パリの居酒屋(びすとろ)』
■本展には出品されていません

佐伯がわずか30歳で夭逝したのに対して、佐野が亡くなったのは1987年だから、このふたりが同じ大阪の出身で2つしか歳が離れていないとは思ってもいないし、佐野が佐伯の影響を受けているだろうということも知らなかった。佐伯の絵を、印刷されたものではなくまとまった数の本物を観たのも、この2007年の展覧会会場が最初だったと思う。

佐伯祐三の描く文字を観ていて唸るのは、何よりもそのスピードである。一度も筆の動きを止めずに一気呵成に描いたもののように見える。実際に、少なくともパリに居るときの佐伯は、1日に4枚くらいの絵を描くことが日課のようだった。とにかくぼくはこの日、彼の絵の中に描かれた文字、絵として表現された文字を求めていたのだと思う。

佐伯祐三 《レストラン(オテル・デュ・マルシェ)》 1927年 大阪中之島美術館蔵

1928年にパリで描かれた《工場》という絵の前に立ち驚いた。手前には人影とも捉えられる黒い線が何本かあり、建物群の左側の白い壁の引っかき傷は数字のように読み取れる。そして右端の白い壁、もしくは塀の上に大きく描かれた文字と数字。これを他の絵に見られる建物に直接描かれたサインと思って近寄ったら、たしかにサインだったのだが、最初の何文字かは読み解けないけれど「UZO SAEKI. 1928.」とあった。つまり作者のサインなのだ。これほどまでに、絵全体の印象を決定づける位置と大きさと書体で書かれたサインを、ぼくはこれまで観たことがあっただろうか。このサインによって絵が完成したのだ。そこに足りないのは文字だったと思ったからだろうか。少なくとも佐伯の絵にとって重要なのは絵画化された文字なのだと、ぼくはひとり興奮していた。たとえば若いグラフィティーライターがこの絵を観たら、どう思うかという興味もわいてきた。

佐伯祐三 《工場》 1928年 大阪中之島美術館蔵

ところで、パリは佐伯祐三の絵のように魅力的な文字にあふれた都市だったろうか。もう何年も行っていないし、よく行っていた時代は、佐伯の絵を知らない頃でもあったから、興味も違い記憶は曖昧である。ただ最近は、少なくとも日本の町の表情がのっぺりしてきたなと感じることが多い。それで、ときどき何故だろうと考えるようになった。
蓜島庸二の『町まちの文字』という本が好きでよく眺めるのだが、文字から見る町の様子が大きく変わったように感じるのは、文字が凡庸になったからだとわかる。手描きの個性的な文字が、それぞれの町まちの書き手が違い、だから特色にもなっていた時代から変化し、いまは同じソフトから選んだに違いない文字とレイアウトの看板ばかりになっている。その看板で語られていることは異なるのに、みな同じ平板な顔に見えてしまう。そしてこれからも、世界はどんどん平板なものになっていくのだろうと思いながらため息をついてしまう。

佐伯祐三 《コルドヌリ(靴屋)》 1925年 石橋財団アーティゾン美術館蔵

佐伯祐三の絵は、街のあちこちで踊る文字こそが、その街の魅力であるとぼくに教えてくれた画家だ。インドに行ったときも、メキシコに行ったときも、タイに行ったときも、ぼくは描かれた文字を発見するたびに嬉しくなった。パリがいまもそういう個性的な街であることを望む。

佐伯祐三 自画像としての風景

会期|2023年1月21日(土) – 4月2日(日)

会場|東京ステーションギャラリー

開館時間|10:00 – 18:00[金曜日は10:00 – 20:00]入館は閉館30分前まで

休館日|月曜日[ただし3月27日は開館]

巡回|大阪中之島美術館 2023年4月15日(土) – 6月25日(日)

■会期中、展示替えあり

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編集者・美術ジャーナリスト

鈴木 芳雄