東京・六本木の〈ShugoArts〉で、画家の丸山直文の個展「水を蹴る」を開催中だ。ギャラリーに足を踏み入れると、真っ白い壁に大型の作品が掛かっている。青い山々が水面に写り込み、サップボードのようなものを漕ぐ人の姿がポツンと描かれている。画布に水をたっぷりと含ませたのだろうか、全体に色彩が淡くにじんでいて、眺めていると展示室全体が湿度のある空気や靄に包まれたような心地がしてくる。 今回の個展のタイトルに込めた想いや制作スタイルについてお話を伺った。🅼
聞き手・文=松原麻理
――今回の個展の作品はすべて2022年に描かれた新作ですね。ステイニング(キャンバスに絵具を滲み込ませる技法)に初期から取り組んでいる丸山さんにとって、すでに「水」は通底するテーマなのだと思いますが、今回の個展に「水を蹴る」と題したことには、どんな意味が込められていますか? また各作品に付けられた副題に、何か意味がありますか?
「わたしは制作する時、床にキャンバスを置いてそこに水を張り、水の上に画像を映すように描き始めます。ですがその画像は鏡の中の像のように安定はしません。水の上に描かれる画像は不安定です。たとえば、水たまりを蹴り上げるとそこに映った景色は乱れ動き出します。それは映画のように画像が動いているのではなく、それを支える基底面が動くということです。わたしは自分が立っている場所、制作している場所がそのような安定しない場所のように感じることがあるんです。今、眼に映っているものが動いているのではなく、わたし自身が動いているのではないか。そんなことを考えてこのタイトルにしました。各作品に付けた副題については、読んでいる本から接続詞のような、原因や結果など意味と意味を繋ぐ言葉を抜き出して付けています。意味と意味の『あいだ』や、形と形の『あいだ』のように、作品とは何かと何かを繋ぐ橋のようなものであってほしいと思っています」
――伝統的に水墨画の歴史を持つ日本人にとっては「ステイニング」よりも「ぼかし」や「にじみ」「たらしこみ」という言い方が腑に落ちると思うのですが、丸山さんにとっては、水墨画の系譜にあるこうした手法に、どのような思いを持っていらっしゃいますか? ご自分の作品への影響を考えたことはありますか?
「絵画を描くようになった当初は抽象絵画に興味を持っていて、『ぼかし』や『にじみ』は抽象絵画の中では別段珍しいものではありませんでした。なので、そのような手法が直接水墨画に繋がるとは思っていませんでした。しかし徐々に、西洋・東洋、抽象・具象、区別なく様々な絵画を観たりする中で、水墨画などにも興味を持つようになりました。たとえば水墨画や中国絵画などについて書かれた本を読むと、『気』について触れているものが多くあります。一般に『気』というと精神的な内側の現象を扱っているかのように思われますが、そうではなく『気象』や『景気』といった自然や社会現象といった問題とも繋げて考えられていました。そのような考え方は面白いと思いますし、興味のあるところでもあります。また『気』とは固定した形のないもの、留まらないものと理解されていますが、その固定されない流動性というものが『ぼかし』や『にじみ』の表現に繋がっているとしたら、わたしの描き方とシンクロする部分はあるでしょうね。とはいえ安易に形態をぼかし、神秘性を演出するような作品は好きではありません」
――風景を描くときに、具体的な場所や写真をもとに描かれるのですか? あるいはまったくの空想の中の風景を描いているのですか?
「具体的な場所が存在するものもありますが、出来るだけ具体性は消そうとします。自分が撮った写真も時には使いますが、古い本、雑誌、YouTube、映画、画集などを観ながら、それらを参考にしている場合が多いです。どちらにしてもその写真などに写っている風景に強い興味があるというよりは、その写真をアトリエで見ているわたしを取り巻く環境や状況の方に関心があります。何を描くかということよりも、目の前にあるメディウムや基底材という現実に対して、今の自分がどう対応するのかの方に興味があるのです」
――「ステイニング」という技法をとるのは、どうしてですか?ステイニングであればこそ表現できることとは、何でしょうか?
「元々はコーティングされているキャンバスが無くなってしまい、他の布に描いたのが始まりです。その時に上手く描けず、描くものが擦れ、ぼやけ、滲んだりすることが、かえって自分自身を超えて自由にしてくれるような感覚があり、このような技法を続けていくようになりました。
ステイニングであればこそ表現できること……、逆説的ですが、ステインニングでは不向きだと思われる方法をステイニングでやろうとしています。にじみやぼかしといった自然に起こる現象ではできないだろうと思うことをすることが、かえってその技法を際立たせるのではないかと思うから。具体的には、微妙に形をコントロールすることであったり、一度描いたものを消して、その薄く残った消し跡の上にまた絵の具を置いて、薄いレイヤーを作ったりということです」
――実際に画布に向かう前に、下絵を準備されるのでしょうか?
「多くの作品でたくさんのドローイングを描きます。それには幾つか理由はありますが、本当のところは何故それだけのドローイングを必要とするのか、自分自身でも解っていない部分が多いと思います。当然、良い作品を作りたいと思いながら1枚1枚描き、数を重ねていきますが、結局最後に描いたドローイングがいちばん良いかというと、そうでもありません」
――ステイニングとは色のにじみ具合など作家の予期せぬことも起こりうる技法だと思います。その偶然性を丸山さんは期待していますか? それとも偶然性には頼らず、自分でコントロールしたいという意思で制作に臨まれているのでしょうか?
「偶然性も期待しますが、全てをコントロールしたいという気持ちもあります。ただ、自分で全てをコントロールしようとすると、逆にコントロールされているのではないかと思ったりしますね」
――ギャラリーに入ると、一瞬にして湿気を帯びた空気に包まれるような気がしました。靄、霧、霞、小糠雨、煙雨……水にまつわる言葉もイメージも豊富な日本の気候風土と作品との関連性を考えてしまいますが、ご自身はどう思われますか?
「変化に富む日本の気候風土は様々なことを考える上でのメタファーとして、わたしに影響を与えていると思います。わたしたちは常に生成変化する自然に対してどのように対応しているのか、どこか強引に何かを押し付け、変化することが不可避なものを固定し、理解したつもりになってはいまいか?と感じるのです。前回と同様に今回の個展でも、ギャラリー空間に靄のようなものが留まることなく漂ってくれれば嬉しいです。靄は形を認識しようと思っても認識できない。見ているはずなのに何を見ているのかよく分からない。しかし確実に存在します。わたしたちの身の回りにも何かそのようなものが存在してはいないでしょうか」
――《水を蹴る(しかしやがて)》以外の作品にはすべて人物が描かれています。小舟やサップボードのようなものを漕ぐ人物に、何を投影されているのでしょうか?
「モチーフについてはさほど強い関心を持って描いてはいないのですが、描かれた人物に何を投影しているかと問われれば、それはわたし自身なのかも知れませんし、鑑賞してくれている方、その人であればとも思います」
会期|2022年9月24日(土)- 11月5日(土)
会場|ShugoArts(シュウゴアーツ)
東京都港区六本木6-5-24 complex665 2F
開廊時間|12:00 – 18:00
休廊日|日曜日・月曜日・祝日
お問い合わせ|03-6447-2234
■DOMANI・明日展2022-23 百年まえから、百年あとへ(2022年11月19日〜2023年1月29日/会場:国立新美術館)にも作品を出展。
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