植本一子『フェルメール』(ナナロク社・BlueSheep 2018年)より

写真家の植本一子は世界に散らばる35点のフェルメール作品を3週間で見て回り、写真を撮り、旅日記を書くという仕事をしたことがある。毎日のように飛行機や列車に乗り、毎日のように美術館に行き、フェルメールと向き合う。そんな中でもメトロポリタン美術館所蔵の《信仰の寓意》には特別の思い入れがあるという。🅼

今から4年ほど前に、世界各国にちらばるフェルメールの作品全てを見に行くというプロジェクトに参加した。これだけ聞くとおおごとな感じがするかもしれないが、フェルメールの作品は7カ国14都市、17の美術館にちらばっていて、現存するものは35点。無事にやり遂げたから言えることではあるが、できなくはない。いや、できる、あなたにも是非ともやってほしい、と、この海外の渡航もままならないコロナ禍の今だからこそ強く思う。あの3週間に渡る長旅や、1日単位で国をまたいだりするような怒涛のスケジュールも、おそらくこの先経験することはないだろう。まだ今よりも確実に体力があったし、旅に同行した3人が私を支えてくれたからだ。

その3人というのは、出版社・ナナロク社の村井光男さんとBlueSheepの草刈大介さん、そして装丁を担当してくれた山野英之さんの3人。共に旅をしながら、私はひたすらフェルメールを見て、写真を撮り、文章を書くという、それだけに専念して完成させた美術書『フェルメール』(ナナロク社・BlueSheepの共同出版)に、その旅のことは細かく書いているのでここでは割愛する。今読み返しても、我ながら良い本だと思うし、何より本当に楽しかった。話だけ聞けばかなり壮大なプロジェクトに思えるかもしれないが、フェルメールの残した作品が35点という数だったからこそできたことかもしれない。

パリからニューヨークに8時間のフライト。アメリカでは4つの美術館をまわる。 photo/ Ichiko Uemoto

今回はその旅の終盤にあたる、ニューヨークのメトロポリタン美術館へ行った時の話。旅は、2度に分けての渡航だった。メトロポリタン美術館は、国としては最終地であるアメリカの1番目の美術館。すでに13カ所の美術館をめぐり、毎日のように電車と飛行機で移動していたため、もうこれで国をまたがなくていいと思うだけで少し肩の荷が降りたし、ある程度美術館で作品を見ることにも慣れていた。が、そこはさすがアメリカ・ニューヨーク、ここメトロポリタン美術館は、フェルメール作品の所蔵数が5点と、どこよりも多い。

ニューヨークを訪れるのは初めてだった。 photo/ Ichiko Uemoto

この旅の一番初めに行くことになった美術館が、オランダのマウリッツハイス美術館で、そこに飾られているのはおそらくフェルメールの作品の中で一番有名と言っても過言ではない《真珠の耳飾りの少女》で、それをまず最初に撮ることになったのには、旅程の都合で仕方がなかったとはいえ、かなりの緊張感があった。

この旅はオランダ、マウリッツハイス美術館の《真珠の耳飾りの少女》から始まった。 photo/ Ichiko Uemoto

でもあの経験と、そもそもこのプロジェクトに参加するという思い切りがあったからこそ、乗り越えられたと思うのだが、たとえ《真珠の耳飾りの少女》が最初ではなくても、全てが名画であり、はずれなしとも言えるフェルメールの作品をくる日もくる日も見続けるのは、贅沢なことであり、精神的にも綱渡りの日々だった。

曇天。10時の開館直後。入口前にはすでに長い列ができていた。 photo/ Ichiko Uemoto

そんな中、メトロポリタン美術館へたどりつくと、なんと5点もの作品が一挙に並んでいる。もう目移りどころか、まずちょっとしたパニックになった。日本にフェルメールが来るとしたら、主役級の位置に1点だけポンとスポットライトを浴びて置かれるようなものが、フラットな明るい光の下、本当にただ飾ってある、という感じなのだ。これはそれぞれの美術館や作品の大きさにもよるが、だいたいはさりげなく飾ってあり、規制線もあったりなかったりで、あってもそこまで気にされず、ガラスがはめてあるとはいえ、ものすごい近さで見ている人がいるのにも毎回驚いた(思わずその様子を写真に撮ったりもした)。

《信仰の寓意》がまん中に。特にこの絵を見るのを楽しみにしていた。 photo/ Ichiko Uemoto

《信仰の寓意》は、5点の中でも一際大きく、私が2018年にメトロポリタン美術館へ行った時には、ど真ん中に配置されていた。これだけの数があれば、どうしてその並びで飾られているのか、見に行った人と一緒に考えるのも面白い。その後、メトロポリタン美術館では展示替えがあったと聞くし、今現在《信仰の寓意》は日本に来ているため、他の4点が現地でどのように飾られているのかも気になる。こうして貸し出されるタイミングもあるだろうから、それぞれの所蔵美術館で見ることができたのは、タイミングがよかったのかもしれない。メトロポリタン美術館で見た《信仰の寓意》は、それまでに見てきたフェルメールの作品とは少し違った印象を持った。なんといっても奇妙なモチーフと構図で、見れば見るほどなんだかへんてこで、面白く見えてくるのだ。もちろん描写は抜群に上手く、だからこそのリアリティが、すっとんきょうな印象を強化している。どの作品も好きだし、それぞれに思い入れがあるのだけれど、この作品は特に個人的に印象に残っている。日本にやってくると聞いた時も、わぁ!と飛び上がった。またあの《信仰の寓意》が見れる、と笑顔になる。

植本一子『フェルメール』(ナナロク社・BlueSheep 2018年)より
植本一子『フェルメール』(ナナロク社・BlueSheep 2018年)より
植本一子『フェルメール』(ナナロク社・BlueSheep 2018年)より
植本一子『フェルメール』(ナナロク社・BlueSheep 2018年)より

もはや、5点のフェルメールを前に、ひたすら見て、写真を撮り、周りの様子すべてを書き留めようと集中していたら、その場で4時間も経っていたのには驚いた。なのでメトロポリタン美術館の他の作品はほとんど見れていない。フェルメールは世界で人気とはいえ、メトロポリタン美術館は広く、人がいないタイミングもちょこちょこと訪れ、その度に静かな部屋で一人、フェルメールと対峙するという時間に恵まれた。かと思いきや、本当にたくさんの人種の、いろいろな世代の人たちが、私の目の前を通り過ぎて行った。あの時間を含む、美術館をめぐった時間は、私にとって自分が更新されるような、広がっていくような貴重な経験だった。美術館には、そういう力がある。コロナが終息した遠くない未来、いつかまた、世界中の美術館を巡りたいと強く思う。

植本一子『フェルメール』(ナナロク社・BlueSheep 2018年)2,000円+税

メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年

会期|開催中- 2022年5月30日(月)
会場|国立新美術館 企画展示室1E
開館時間|10:00 – 18:00 [毎週金・土曜日は20:00まで 入場は閉館の30分前まで]
休館日|火曜日[ただし、5月3日(火・祝)は開館]
お問い合わせ|050-5541-8600 [ハローダイヤル]

■会期等、今後の諸事情により変更される場合があります。展覧会ウェブサイトなどでご確認ください。

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